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二人の聖子 【 雪解け編 】 [二人の聖子]

1979年5月25日
17歳でデビューした沢田聖子さん。

イルカオフィス期待の新人シンガーソングライターとして
" イルカの妹 " というキャッチコピーのもと、
これ以上ない恵まれたデビューとなった。

アイドル性を兼ね備えたシンガーソングライターという
それまでになかったスタイルとファン層を確立し、
80年代女性アーティストの流れを変えた。

沢田聖子デビューの翌年…
一文字違いの、誕生日が3日違いの同い年の
不世出のモンスターアイドルがデビュー。

瞬く間にトップアイドルへと駆け上がり、
昭和の時代を超え平成までも凌駕したスーパーアイドル。

アイドル全盛期の80年代前夜にデビューした、沢田聖子さん。
アイドル全盛期の80年代夜明けにデビューした、松田聖子さん。

デビュー当時は、比較されることが多かった二人。
沢田聖子さんもフォーク界のアイドルとして注目されたものの
数年後には、本家スーパーアイドルの大旋風に飲み込まれる。

沢田聖子ファンは…
決して積極的に聴くことはなかった。
むしろ敵対心を前面に出し、背を向けていた…
松田聖子さん。

ファンとしてのプライドを、勘違いしていた若かりし頃。


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そんな時代でも…
背を向けることが出来なかった1曲。

心の鐘を打ち鳴らすかのように響いてくるメロディ。

恋のドラムが、胸の鼓動を刻むかのように…。

凍りついた心の壁をぶち破るほどの…。

フォークもニューミュージックも歌謡曲もロックも
アイドルもシンガーソングライターも…
音楽にジャンルはない…
好きな音楽に分け隔てはない。

そう教えてくれた1曲。


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大瀧詠一氏の稀代の名曲。

『 風立ちぬ 』

" ジャンル " というくだらない音楽の枠を超え、
完成された音楽の美しさを形にした1曲。

タイトル、詩、曲、アレンジ、そして…
きしむ胸の音を楽譜に載せたような…
せつないヴォーカル。

「SAYONARA…」

とリフレインするハスキーボイスが
心揺さぶり、胸を引き裂く…。

すべてがパズルのピースのようにピタッとおさまり、
どれか一つ違ったら、その美は失われるほどの…
音楽の美。

松田聖子さん7枚目のシングルとしてだけでなく
時代を超えて聴き継がれる名曲。

こんな曲を沢田聖子さんにも…
と思いながら…
何度も。

決して積極的に聴くことはなかった女性…
背を向けてきたヴォーカリスト…。


" 二人の聖子 " の溝を埋めるかのように…

降り積もった雪を解かすように…

" 二人の聖子 " の雪解けとなった…

『 風立ちぬ 』






青春の1ページに

深く…

深く刻まれたナイアガラサウンド。

いつまでも…。


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二人の聖子 【 遭遇編 】 [二人の聖子]

1981年5月10日 『 レッツゴーヤング 』 に初のゲスト出演。

NHK総合TVにて、毎週日曜日の18:00から放映されていた音楽番組。
太川陽介をメイン司会者に、松田聖子、田原俊彦がレギュラーを務めていた。

アイドル歌手を主とした出演が多かったが、その歌手のヒット曲以外にも、
自身のアルバム収録曲を披露することが、番組の魅力の一つでもあった。

2ndアルバム 『 青春の光と影 』 リリースから約2週間後の出演。
アルバムジャケットと同じ衣装を身にまとい、華やかなアイドルたちと黄色い声援の中、
淡々と、そして度胸の据わった表情で唄いこなす聖子さん。

NHKの音楽番組だけあって、バッキングのオケの演奏にも厚みがある。
TV出演の演奏では、得てしてカラオケや口パクが多い中、さすがNHK…。
この時期のサウンドとしては、申し分ないステージ。

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当時は大ブレイクした松田聖子さんの " せいこ " が当たり前の時代で、
" 聖子 " を " しょうこ " と読むのはファン以外には全くと言っていい程いなかった。

ちなみに、80年リリースの4枚目のシングル 『 星空のメッセージ 』 まで、
ジャケットの名前に " しょうこ " とルビが振られていた。
ちょうどこの3月にリリースされていた5枚目のシングル 『 春 』 からルビがなくなり、
とてもうれしかった事を憶えている…。

最新シングルの 『 春 』 を唄わず、さらに 『 シオン 』 や 『 坂道の少女 』 を唄わず
あえてアルバム収録曲の 『 青春の光と影 』 を選択したことは、
番組プロデューサーのセンスと、この音楽番組のこだわりがあったからこそ…。
30年以上経った今もなお、その輝きを失わない名曲 『 青春の光と影 』 。
この時期の沢田聖子の目指す音楽、スタンスを示してくれた…と言える。

松田聖子さんが沢田聖子さんを紹介し、新譜のタイトル曲 『 青春の光と影 』 を唄う…
という後にも先にもない、たった一度の、これっきりの接近遭遇。

路線は違っても、80年代を代表するアーティストとして歩き始めたばかりの二人。
輝かしい80年代が始まったばかりの、初々しい二人の " 聖子 " 。




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二人の " 聖子 "  【上級編】 [二人の聖子]

まだブログを始めたばかりの頃、2007年の11月に同じタイトルで記事を書き、
あれから4年ほど経ち、今回は少し専門的に内容をグレードアップした【上級編】。
http://vega3130.blog.so-net.ne.jp/2007-11-30

松田聖子(まつだせいこ)・沢田聖子(さわだしょうこ)
80年代の歌謡界、ニューミュージック界に旋風を巻き起こした二人。
デビューから30年以上経った今も、現役で音楽活動を続けている二人。
来年、共に50歳を迎えるにもかかわらず、若々しい姿をファンに披露している二人。

1979年5月25日、沢田聖子が 『 キャンパススケッチ 』 でレコードデビュー。
その約1年後の1980年4月1日、松田聖子が 『 裸足の季節 』でレコードデビュー。

1962年3月10日、松田聖子(蒲池法子)は福岡県久留米市に生まれる。
その3日後の1962年3月13日、沢田聖子は東京都中野区に生まれる。

松田聖子は、トップアイドル歌手として不動の道を歩み続け…
沢田聖子は、シンガーソングライターとして自らの信じる道を歩み続ける。

本名と芸名の違いはあるものの一字違いの名前、誕生日が3日違いの同い年。
1年違いのデビューと、同じ歌手ではありながらジャンルが違うこともあり、
デビュー当時は、あれこれ比較されがちだった二人。

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【松田聖子】
「 ポスト山口百恵 」と言われた松田聖子は、デビュー曲から瞬く間にブレイクし、
2ndシングル 『 青い珊瑚礁 』の大ヒットを皮切りに山口百恵どころか、
80年代以降の日本を代表する、向かうところ敵なしのアイドルにのし上がる。
3rdシングル 『 風は秋色 』で初めてのオリコン第1位を果たし、
26枚目のシングル『 旅立ちはフリージア 』 までの6年間、
24曲連続オリコン第1位という驚くべき金字塔を打ち立てている。

さらに特筆すべきは、LPにおいても1stアルバム 『 SQUALL 』の第2位から始まり、
15枚目のアルバム 『 Citron 』 までの8年間、売上第1位、第2位を維持している。
一般的にシングルが活動の主であるソロアイドル歌手が、これほどの長期間に亘って
これほどのアルバム売上実績を残した例はなく、驚嘆に値する。

【沢田聖子】
沢田聖子のデビューは、イルカオフィスのオーディション合格から始まっている。
しかし当初、オーディションに参加するはずだったのは沢田聖子ではなかった。
オーディションの本命は、同じモデル事務所に所属していた別の女性だったが、
他の仕事とのブッキングのために参加できなくなり、事務所から再度選出し直している。
所属モデル一覧の本命女性のとなりで " ニカッ " と笑っている写真が目にとまり
「 この娘で… 」と、沢田聖子が急遽オーディションに臨むこととなった。

代役同然だったオーディションの参加に、モデル事務所からも
「 合格するなんて、馬鹿なことは考えないこと 」と釘を刺され、
本人も 「 憧れのイルカさんに逢って、握手とサインをもらえれば… 」
という気持ちだったと語っている。

ハンドマイクとピアノの弾き語りで 『 硝子坂 』 『 時代 』 などを唄ったが、
レコード会社や他のスタッフからは 「 やはりこの娘ではダメだ 」 と酷評された。
アマチュア経験もなく、ピアノ弾き語りも素人レベルだった事を考えれば、当たり前のこと。

当時イルカオフィスは、イルカの産休からの復帰と同時に
新人シンガーソングライターのデビューを視野に入れ、イルカのファン層とは別の
中・高生のファン層をターゲットとした新人アーティストを探していた。
この時沢田聖子の持っていた小さな輝きに気づき、大勢の反対を押し切って起用したのが
シュリークスのボーカリストであり、イルカの夫であり、イルカのプロデューサーであり、
そしてイルカオフィス社長の、故・神部和夫氏だった。

「 この娘なら行ける… 」という直感と感性が、沢田聖子の人生を変えた。
この時の決断がなければ、シンガーソングライター沢田聖子は存在していない。
本人も 「 神部さんと出会っていなければ、私は歌を唄っていない。今の私はない 」
と事あるごとに語っている。

切れてしまいそうなほどの細い糸を、やっとの思いで手繰り寄せたデビューと言える。

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【松田聖子】
松田聖子は、高校1年の時に「ミスセブンティーン・コンテスト」に桜田淳子の曲を唄った
デモテープを送り、九州地区大会で優勝したことが芸能界への第一歩だった。
芸能界への進出にはご両親の強い反対があり、その説得には1年以上かかったという。
高校3年という当時のアイドル歌手としては、遅咲きのデビューでもあった。

オーディション応募理由には、優勝特典のアメリカ・ディズニーランドへの招待と、
憧れだった郷ひろみがゲスト審査員だったこともあったと言う。
オーディション結果は、当時のサンミュージック社長や他のスタッフからもあまり高い評価は得られなかったが、女性音楽プロデューサーが熱烈に推したことからデビューに至った、
と伝わっている。
ちなみに松田聖子の九州地区優勝の情報は、当時から大スターを多数抱えていた「渡辺プロ」にも伝わっていたが、殆どのスタッフが興味を示さなかったという。

芸名の由来は、初めて出演したドラマの役名をそのまま使った、という説が有力。

決して大きな期待をされていたわけではなく、不安に包まれてのデビューだったと言える。

【沢田聖子】
沢田聖子は 「イルカの妹」というキャッチコピーを背負ってデビューし、イルカのカムバックリサイタルに同行し、デビュー間もない頃から各地大ホールのステージに立ち、大勢のイルカファンに見守られながらの出発となった。
これ以上ない、恵まれたデビューと言って良い。

それまでの女性フォーク・ニューミュージック歌手は、荒井由実・中島みゆき・尾崎亜美・
庄野真代・石黒けいなど、大人のイメージを持ったシンガーが多数を占めており、
沢田聖子はアイドル性を兼ね備えた新しいシンガーソングライターとして注目され、
80年代のニューミュージックシーンを大きく変えるパイオニアとして、
中・高校生を主としたファン層を獲得していた。
ツアーはどこもチケットが即日完売し、シングルヒットには恵まれなかったが、
リリースするアルバムは、ベスト10に第1週飛び込みランクインする勢いだった。

そんな勢いも、もう一人の " 聖子 " の勢いには敵うはずもなく、
間違われること数え切れず、偽物扱いされることも度々あり、悔しい想いをした…。

【松田聖子】
デビュー曲 『 裸足の季節 』 が化粧品のCMソングとして起用された松田聖子だったが、
本人の頬にニキビが出来ないため別のタレントがCM出演となった、という逸話がある。
ただ当時のサンミュージック社長が、松田聖子にはビジュアル的なものを期待しておらず、
もっぱら歌を前面に打ち出す方向性だった、との見解もある。

そのためサイン会などでは、そのタレントの前に行列が出来るものの、
露出度が少なかった松田聖子本人の前には誰も並ばず、
「あの娘は誰…?」という目で見られ、悔しい思いをしたと言う…。

悔しさをバネにする姿勢は、誰もみんな同じ…。

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沢田聖子ファンにとって、80年代の松田聖子は 「 憎っくき松田聖子 」 だった…。
かたやトップアイドル、かたや…。
ライヴアーティストとしてのスタイルを貫く姿に、ファンとして誇りに思ってはいたものの、
やはり比べられれば悔しさも募り、多くのメディアに登場していることに羨ましさもあった。

「 沢田 聖子 」「 さわだ せいこ 」
知らない人が読めば「せいこ」と読んでしまうのは仕方のないこと…。
しかし知っていながら、聞えよがしに「 せいこ 」と口にする人も数知れない。
含み笑いを残して立ち去る後ろ姿を、睨みつけることしか出来ないもどかしさ…
歯ぎしりするほどの悔しさ。

そして何より辛かったのが、ライヴ会場前に掲げてある「沢田聖子」の文字を見て、
「 さわだせいこ…? 松田聖子じゃないの…? 誰…? 」
とささやく声が聞こえる時…。
本当に知らない人の声が、実は一番辛いことを今も痛感する…。
耳に入ってくるそんな声に、何度拳を握りしめたことか…。

今思えば、その憎しみは " もう一人の聖子 " へのものではなく、
比べる人たちの、心ない仕打ちへの憎悪だったのかもしれない。

二人の聖子も、来年の3月に仲良く50歳を迎える。

自らの夢を追いかけるべく、全国のライヴハウスを駆け回る沢田聖子さん。
昨年30周年を迎え、武道館ライヴなど精力的に音楽活動を続ける松田聖子さん。

益々のご活躍を、願わないではいられない。
同世代を生きてきたファンとして、もう最後まで見守らない訳には行かない。

最後まで…。


同じファンとして


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二人の " 聖子 " [二人の聖子]

1980年4月、沢田聖子デビューの約1年後、もうひとりの「聖子」が鮮烈なデビューをします。
「ポスト山口百恵」と呼ばれた、80年代を代表するモンスター・アイドル。
シングル24曲連続ヒットチャート1位という金字塔も打ちたて、
様々な流行語まで創られた伝説的アイドル歌手。

今もなお多くのファンを持つ息の長さも驚異的。
「もう一人の聖子」は、本家「聖子」をあっという間に吹き飛ばすほどの強烈な旋風を巻き起こした。

『 沢田聖子 』
『 松田聖子 』
本名と芸名という違いはあれど一文字違い、誕生日が3日違いの同い年、デビューが1年違い。
「比較をするな」というのが無理な話で、デビュー当時は何かにつけて比べられました。
アイドル歌手とシンガーソングライターというジャンルの違いが、一層拍車をかける要因にもなったようで…。

名前が似ているだけで、違う路線を歩んでいる相手を本人もファンも意識することはなかったのですが、やはり比較されることが多かった時期、辛い思いをした…。

「さわだせいこ」
沢田聖子ファンが一番聞きたくない名前。
知らずに呼ぶ人、知っていながら呼ぶ人。
「さわだせいこ・・・?知らないね。」
という台詞を何度聞いたことか。
肩身の狭い思いをしたこと、一度や二度ではなかった。

ヒット曲に恵まれなくても、いつまでも唄い続ける息の長いシンガーであってほしい…
と願ったファンですが…。
やはりメジャーになって多くの人に知ってもらいたい…
彼女の唄をたくさんの人に聴いてもらいたい…と思うのは仕方のないこと。
ファンも聖子さんもそのジレンマに苦しみ、彷徨った時期がありました。

レコード会社はヒット曲に向けての販売戦略に躍起になり、
聖子さんの音楽はどこに向かっているのかわからなくなり…。
音楽活動の一時休止という道を選びましたが…。

『 私の夢は、唄うことから始まる… 』

こう言って戻ってきてくれた聖子さん。
紆余曲折を経て、やっと自分の目指す音楽にたどり着いた聖子さん。
「 もう人の評価なんて気にしない、唄が好きだから唄い続ける… 」
と頼もしいことを言えるようになった聖子さん。

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沢田聖子・松田聖子、共に45歳。
お二人とも今もステージに上がり、多くのファンを魅了する輝かしい女性です。
流行り廃りの激しい世界での音楽活動…。
唄うことへの情熱、ステージに上がることの喜び、そしてファンへの熱い想いがなければ、
今日まで続けることは出来なかったでしょう。

二人の「 聖子 」に大きな拍手を贈らないではいられません。

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