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名古屋へ [Forever Live]

6月24日

シンガーソングライター村下孝蔵氏のご命日。

1999年に病で倒れ、そのまま帰らぬ人となった。

享年46歳。


90年代に弾き語りのジョイントライヴのツアーで地方都市を回り、

沢田聖子さんがギターを弾くきっかけにもなった村下孝蔵氏。


6月24日の命日には、村下孝蔵の名曲を唄う

『 Forever Live 』 と銘打った追悼ライヴを毎年開催している。

この週末は、名古屋・大阪にて。


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ジョイントでのエピソード等、想い出をMCで語る。

ベンチャーズと加山雄三が大好きだった…

肉が大好きで、朝からミックスフライを食べていた…

ギターが大好きで、少年のまま大人になったような人だった…。


懐かしそうに、遠くを見つめるように…語る。

けれどもこれ以上、村下さんの想い出は増えない…とも。


お亡くなりになって、ギターを本格的に手にするようになり、

今ではライヴの楽曲の7割近くが、ギターによるもの。

プロとしてステージで弾けるようになるまでには、

納得行くまでには、どれほどの練習を重ねて来たことか…。




ステージ中央で

遠くを見つめる瞳…

その瞳の先…。




今日も…

重い足取りで…

名古屋へ。






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春雨 [Forever Live]

村下孝蔵追悼ライヴ「Forever Live 〜 親愛なる人へ 〜」

沢田聖子さんのオリジナル楽曲ではなく、
村下孝蔵を偲び、故人の楽曲を唄うステージ。

これまでは命日の東京公演のみだった追悼ライヴは、
今年初めて東京以外での3か所を含め、全4公演の追悼ライヴ。
命日の6月24日の東京、7月に入っての名古屋・大阪が終了。
千秋楽は、故人の第二の故郷でもある広島。

旧事務所時代からギターのサポートを入れての追悼ライヴ。
独立後の初の追悼ライヴでは、シンガーソングライター国安修二氏と
ギタリスト玉木孝治氏を加え、初めての3人編成で開催。

これをきっかけに、ツアーでもギタリスト玉木氏がサポートに入るようになり、
今では沢田聖子のステージには欠かせないギタリストに…。

村下さんのご逝去がなければ、玉木さんと出会うことはなかったかも知れない…
全ては必然……と受け止める沢田聖子さん。

今回は、ツアーでもサポート参加しているキーボードの林有三氏を
初めて編成に加えてのステージング。


追悼ライヴでは、沢田聖子さんはいつもの沢田聖子さんではない。
自身のオリジナル楽曲ではないため、演奏中はほぼ楽譜に視線は釘づけ。

時折会場を見渡す時、天を見上げる時…

その視線の先には、いつもの風景はない。

いつも視線の先にあるファンの姿は…

その視線の先には…。


20070624_1745_0000.jpg


男として…

慕う女性が慕う男性を謳う姿は…

見ていて、とても辛い…。

アーティストとして敬愛する 

ピュアな姿であることはわかっていても…。


素直に受け止められるほど

自分は心が広くないから…。

素直じゃないから…。


これまでずっと追悼ライヴに足を運んできていながら

心のどこかで背を向けて…。


いつもなら…

瞬きするのも惜しいくらいに

真っ直ぐに見つめるその表情から

視線をそらし…


6月24日のライヴの日は

その事実だけを受け止めて

足早に会場を後に…。


その世界にいるのは…

あまりに辛すぎるから。





ギターの音色に…


涙した 『 春雨 』


ギターの音色に…

ギターの音色に…

ギターの音色に…



涙なんかしてやるものか…

崩れた想いを取り繕い…

もう一人の自分が自分に

言い聞かせるように。

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ただ 口ずさむだけ… [Forever Live]

1999年6月20日。
コンサートのリハーサル中に体調不良を訴え、
高血圧性脳内出血と判明した直後に昏睡状態に陥り、
その4日後…

6月24日。
帰らぬ人となったシンガー・ソングライター村下孝蔵。

享年46歳。
お元気ならば、今年還暦を迎えていた。

生前、ジョイントライヴで地方都市を回った沢田聖子さん。
アコースティックサウンドに傾倒して行くきっかけともなった。

この出会いと別れがなければ、ギター弾き語りの沢田聖子はなかった…
と綴るのは、あまりに酷すぎる…。


   t02200391_0480085410202078543.jpg


今年で12回目を迎えた村下孝蔵追悼ライヴ
『 Forever Live ~ 親愛なる人へ ~ 』

歌人・村下孝蔵の名曲の数々を唄い、故人を偲ぶ追悼ライヴ。

会場を見渡す視線は宙に浮き…

同じ高さの視線がぶつかっても…

何度も何度もぶつかるのに…


いつもの瞳は…

そこにはない…。

いつもの貴女は…

そこにはいない…。


自分はただ、小さく口ずさむだけ…。

貴女の唄声に合わせて…。

口ずさむだけ。



   口ずさんでた 歌も忘れたけれど

   この場所には 今でも愛がある





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親愛なる人へ [Forever Live]

『 親愛なる人へ 』  作詞作曲:沢田聖子

2001年5月23日、24枚目のオリジナルアルバム 『 祈 り 』 収録。

1999年6月24日に亡くなられた、村下孝蔵さんを偲んで作られた楽曲。

アコースティックサウンドに傾倒し始めた90年代後半、

氏とのジョイントライヴツアーを組み、そのギターの魅力に惹かれ…


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生まれて初めて、ギターで作った楽曲。

故人と音楽への溢れる想いを込めて…


同じモデルのYAMAHA Compass CPX-10 を抱え…

たくさんの人たちの想いを背負って…

今日も貴女は唄う…。


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ロマンスカー [Forever Live]

『 ロマンスカー 』

1991年11月21日、故・村下孝蔵21枚目のシングルとしてリリースされ、
同時発売のアルバム 『 名もない星 』 の1曲目に収録されている。
村下孝蔵自身が一番好きだったと伝わる楽曲で、
葬儀での出棺の際にも、この楽曲が流れていた。

「 走る喫茶室 」 とも呼ばれ、高いブランドイメージを誇ったロマンスカーを舞台とし、
まるでその列車に乗っているような錯覚に陥るほどの、リズミカルに流れるメロディ。
楽曲を聴きながら、流れる車窓の風景が目に浮かぶ洗練された歌詞。
激しく上下する音符をものともせず、安定したヴォーカル、ファルセットがひときわ光る。

円熟期に入った村下サウンドの完成形と言っても過言ではない、生涯最高の名曲。

そしてこの楽曲に最高の彩りを添えたのが、バッキングコーラスのハーモニー。
サビのメインヴォーカルを追いかけるバッキングヴォーカルは、涙もの…。

このバッキングヴォーカルは、浜田省吾のギタリストとして有名な町支寛二。

    img_1009659_30025932_6.jpg

町支寛二は、アマチュア時代から浜田省吾のギタリストとしてステージに立ち、
浜田省吾には欠かすことの出来ない、ギタリスト、ヴォーカリスト、アレンジャーである。

1994年の全国ツアー中、町支寛二が脳腫瘍で手術・入院した際には、
浜田省吾はツアーを中断して、町支寛二の復帰を待ったという。
浜田省吾にとって、余人をもって代えることの出来ない生涯のパートナー。

町支寛二の才能はギターテクニックのみならず、
コーラスアレンジにおいても比類ない才能を開花させ、
そのファルセットヴォイスは、昇天しそうなほど…絶品。

広島で同じアマチュア時代を過ごしている経緯もあり、その関係は深い。
村下孝蔵のレコーディングにもたびたび参加し、ほとんど知られていないが、
大ヒット曲 『 初恋 』 でもバッキングヴォーカルを務めている。

1989年、聖子さんの16枚目のオリジナルアルバム 『 SOUVENIR 』 においても、
『 雨 』 『 17の頃 』 の2曲のコーラスアレンジとバッキングコーラスを務めている。
浜省ファンでもある聖子さんのたっての希望…が叶った2曲。
この2曲のクオリティの高さは、町支寛二なしにはあり得なかった。


7回忌の2005年、須藤晃氏プロデュースのトリュビュートアルバム制作の際、
『 ロマンスカー 』 を唄えるのは町支寛二以外にいない…という須藤氏の要望で、
町支寛二カバーによる 『 ロマンスカー 』 が実現している。

『 初恋 』 『 踊り子 』 ほど脚光を浴びることのない、『 ロマンスカー 』

たくさんの想いが絡みあった…

不思議な糸がもつれ合う…

『 ロマンスカー 』

明日の命日…

追悼ライヴで…




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