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桜ホールライヴ [ライブツアー幸せを探そう]

9月25日 富山県魚津市 『 新川学びの森 桜ホール 』 ライヴ。

元々は音楽学校の旧洗足学園校舎だったため、エントランスにはバッハの銅像が飾られ、
廊下の両側にいくつも並ぶ練習室には、すべてグランドピアノが置かれている。

会場の桜ホールは、その音楽学校時代に合唱室として使われていたスペースで、
すり鉢状の構造と音響効果が、ライヴにも如何なく発揮される贅沢なホール。

そのホールの中央に置かれたスタインウェイのグランドピアノは、フルコンのDモデル。
象牙の鍵盤、黒の艶消し塗装の年代物で、2,500万円の名器だという。
ベーゼンドルファーのインペリアルが、数千万…と訊いたことがあるので、
このピアノの価値は、およそ素人にはわからない…。

正式名 「 スタインウェイ・アンド・サンズ(Steinway & Sons) 」
1853年にアメリカニューヨークで設立されたピアノ製造会社で、
ベヒシュタイン、ベーゼンドルファーと並んで世界ピアノ御三家のひとつとされる。
コンサート会場で最も多く目にするピアノで、クラシックから現代音楽まで全てに対応できる
守備範囲の広さを誇る、ピアニスト憧れの楽器でもある。

「 スタインウェイのライバルはスタインウェイ 」という言葉がメーカー内にあるらしく、
「 新品のスタインウェイのライバルは中古のスタインウェイ 」という意味があるという。

新品より安値の中古ピアノの需要が高いが、手放す人も少ないため市場に出回らず
品薄で売り手市場となっている中古が結果的に高値になってしまう…
という意味もあるらしい…。
またその高い技術を維持・提供し続けなければならない " ブランド " の誇りもあるのかと…。

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会場入りすると、中央に神々しく置かれた姿が目に飛び込み、一気に期待が高まる。
クラシックコンサートの開演を待つように、弦楽器のチューニング音が聴こえてきそうな…
オーボエの " A " が、かすかに聴こえてきそうな…
厳かな開演前のひととき。

センターマイクの脇にスタンドに立てかけられている、いつもの「 YAMAHA コンパス 」が
スタインウェイの横で申し訳なさそうにしているように見えるのが、微笑ましい…。

オープニング2曲はその名器による弾き語りで、イントロの音色で全身に鳥肌が…。
今まで聴いたことのない、全く別の楽器の音を聴いているような…。
中高音から高音の " キーン " と共鳴する輝くような響き、低音域も力強く伸びのある音。
この規模のホールなら、このピアノにマイクは必要ない…
ラインを通してではなく、すべて生で聴きたい…と思うほどの素晴らしい響き…。

その合唱室の音響効果が更に拍車をかけ、足元から響いてくる音の波。
短い時間では消化しきれないほどの、音・音・音…
聴き洩らしている音が、あちこちこぼれ落ちているような感覚…
耳が二つでは足りないくらい、もったいないほどの音の響き…。

素人が聴いていても、そのレスポンスの反応の良さがはっきりと分かり、
その反応を楽しむかのように、気持ちよさそうに、しなやかに鍵盤の上を左右に走る指…
うっとりとした表情を魅せ、時折向ける客席への視線が艶かしい…。
最後の音が鳴り終わるまでの時間、最後の音を目で見ているような錯覚に陥る…。
演奏者も聴取者も、音符一つひとつを味わうような夢心地の世界。

センターマイクからピアノへ移動する時の、ブーツのかかとの音さえ室内に心地良く響き、
すべての音を身体にしみ込ませるための室内、と言っても過言ではない。

この音は、今ステージに立っている人から発せられている音…という不思議な感覚。

アンコール曲の最後のアカペラの歌声も、室内に大きく響き渡り…

全曲唄い終えてニコっと微笑み、「 ありがとう 」 と呟きながらの笑顔が、輝いていた。


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ライブ実行委員会スタッフのご尽力とファンへの心遣いのお陰で、
このツアーでも指折りのライヴとなり、無理をして遠征をした甲斐があったというもの。

活字だけの味気ないチケットが多い中、アルバムジャケットをあしらったチケットを手にし、
スタッフのライヴに賭ける想い、アーティストとファンへの心遣いが感じられた。
こんな小さな事にファンは喜びを感じ、嬉しい気持ちになる。

忘れられない誕生日の想い出となった、桜ホールライヴ。


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富山県魚津ライヴ遠征 [ライブツアー幸せを探そう]

『沢田聖子 Live Tour 2010-2011~幸せを探そう~』

9月25日は前日の石川県に続いての北陸シリーズ、富山県魚津市にて開催。

会場の「新川学びの森・桜ホール」は、旧洗足学園大学の校舎の合唱室で
元来が音楽のために作られた室内で、音響効果も良く、すり鉢状になった座席は
どの席でもストレスなくライヴを楽しめるスペースとなっている。

世界ピアノメーカー御三家の一つ 「 スタインウェイ 」のグランドピアノがあり、
当日の聖子さんのピアノ弾き語りが楽しみ…。

翌日が月曜日ということもあり、当初は行く予定ではなかったが、
ライヴスタッフの方からライヴ告知をブログコメント欄に掲載していただき、
後日その方と連絡が取れ、伺うことをお約束した為に行かない訳には行かない…。

また今日は自分の誕生日でもあるため、無理を承知で聖子さんに逢いに…。

行きは東京から上越新幹線で越後湯沢経由、北陸本線に乗り換えて魚津市へ。
帰りはライヴ終了後に富山駅に直行し、夜行バスでとんぼ返り。
翌朝5:30に池袋に着き、そのまま仕事に直行……。

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遠征中につき、時間予約のUPです。
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二人の " 聖子 "  【上級編】 [二人の聖子]

まだブログを始めたばかりの頃、2007年の11月に同じタイトルで記事を書き、
あれから4年ほど経ち、今回は少し専門的に内容をグレードアップした【上級編】。
http://vega3130.blog.so-net.ne.jp/2007-11-30

松田聖子(まつだせいこ)・沢田聖子(さわだしょうこ)
80年代の歌謡界、ニューミュージック界に旋風を巻き起こした二人。
デビューから30年以上経った今も、現役で音楽活動を続けている二人。
来年、共に50歳を迎えるにもかかわらず、若々しい姿をファンに披露している二人。

1979年5月25日、沢田聖子が 『 キャンパススケッチ 』 でレコードデビュー。
その約1年後の1980年4月1日、松田聖子が 『 裸足の季節 』でレコードデビュー。

1962年3月10日、松田聖子(蒲池法子)は福岡県久留米市に生まれる。
その3日後の1962年3月13日、沢田聖子は東京都中野区に生まれる。

松田聖子は、トップアイドル歌手として不動の道を歩み続け…
沢田聖子は、シンガーソングライターとして自らの信じる道を歩み続ける。

本名と芸名の違いはあるものの一字違いの名前、誕生日が3日違いの同い年。
1年違いのデビューと、同じ歌手ではありながらジャンルが違うこともあり、
デビュー当時は、あれこれ比較されがちだった二人。

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【松田聖子】
「 ポスト山口百恵 」と言われた松田聖子は、デビュー曲から瞬く間にブレイクし、
2ndシングル 『 青い珊瑚礁 』の大ヒットを皮切りに山口百恵どころか、
80年代以降の日本を代表する、向かうところ敵なしのアイドルにのし上がる。
3rdシングル 『 風は秋色 』で初めてのオリコン第1位を果たし、
26枚目のシングル『 旅立ちはフリージア 』 までの6年間、
24曲連続オリコン第1位という驚くべき金字塔を打ち立てている。

さらに特筆すべきは、LPにおいても1stアルバム 『 SQUALL 』の第2位から始まり、
15枚目のアルバム 『 Citron 』 までの8年間、売上第1位、第2位を維持している。
一般的にシングルが活動の主であるソロアイドル歌手が、これほどの長期間に亘って
これほどのアルバム売上実績を残した例はなく、驚嘆に値する。

【沢田聖子】
沢田聖子のデビューは、イルカオフィスのオーディション合格から始まっている。
しかし当初、オーディションに参加するはずだったのは沢田聖子ではなかった。
オーディションの本命は、同じモデル事務所に所属していた別の女性だったが、
他の仕事とのブッキングのために参加できなくなり、事務所から再度選出し直している。
所属モデル一覧の本命女性のとなりで " ニカッ " と笑っている写真が目にとまり
「 この娘で… 」と、沢田聖子が急遽オーディションに臨むこととなった。

代役同然だったオーディションの参加に、モデル事務所からも
「 合格するなんて、馬鹿なことは考えないこと 」と釘を刺され、
本人も 「 憧れのイルカさんに逢って、握手とサインをもらえれば… 」
という気持ちだったと語っている。

ハンドマイクとピアノの弾き語りで 『 硝子坂 』 『 時代 』 などを唄ったが、
レコード会社や他のスタッフからは 「 やはりこの娘ではダメだ 」 と酷評された。
アマチュア経験もなく、ピアノ弾き語りも素人レベルだった事を考えれば、当たり前のこと。

当時イルカオフィスは、イルカの産休からの復帰と同時に
新人シンガーソングライターのデビューを視野に入れ、イルカのファン層とは別の
中・高生のファン層をターゲットとした新人アーティストを探していた。
この時沢田聖子の持っていた小さな輝きに気づき、大勢の反対を押し切って起用したのが
シュリークスのボーカリストであり、イルカの夫であり、イルカのプロデューサーであり、
そしてイルカオフィス社長の、故・神部和夫氏だった。

「 この娘なら行ける… 」という直感と感性が、沢田聖子の人生を変えた。
この時の決断がなければ、シンガーソングライター沢田聖子は存在していない。
本人も 「 神部さんと出会っていなければ、私は歌を唄っていない。今の私はない 」
と事あるごとに語っている。

切れてしまいそうなほどの細い糸を、やっとの思いで手繰り寄せたデビューと言える。

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【松田聖子】
松田聖子は、高校1年の時に「ミスセブンティーン・コンテスト」に桜田淳子の曲を唄った
デモテープを送り、九州地区大会で優勝したことが芸能界への第一歩だった。
芸能界への進出にはご両親の強い反対があり、その説得には1年以上かかったという。
高校3年という当時のアイドル歌手としては、遅咲きのデビューでもあった。

オーディション応募理由には、優勝特典のアメリカ・ディズニーランドへの招待と、
憧れだった郷ひろみがゲスト審査員だったこともあったと言う。
オーディション結果は、当時のサンミュージック社長や他のスタッフからもあまり高い評価は得られなかったが、女性音楽プロデューサーが熱烈に推したことからデビューに至った、
と伝わっている。
ちなみに松田聖子の九州地区優勝の情報は、当時から大スターを多数抱えていた「渡辺プロ」にも伝わっていたが、殆どのスタッフが興味を示さなかったという。

芸名の由来は、初めて出演したドラマの役名をそのまま使った、という説が有力。

決して大きな期待をされていたわけではなく、不安に包まれてのデビューだったと言える。

【沢田聖子】
沢田聖子は 「イルカの妹」というキャッチコピーを背負ってデビューし、イルカのカムバックリサイタルに同行し、デビュー間もない頃から各地大ホールのステージに立ち、大勢のイルカファンに見守られながらの出発となった。
これ以上ない、恵まれたデビューと言って良い。

それまでの女性フォーク・ニューミュージック歌手は、荒井由実・中島みゆき・尾崎亜美・
庄野真代・石黒けいなど、大人のイメージを持ったシンガーが多数を占めており、
沢田聖子はアイドル性を兼ね備えた新しいシンガーソングライターとして注目され、
80年代のニューミュージックシーンを大きく変えるパイオニアとして、
中・高校生を主としたファン層を獲得していた。
ツアーはどこもチケットが即日完売し、シングルヒットには恵まれなかったが、
リリースするアルバムは、ベスト10に第1週飛び込みランクインする勢いだった。

そんな勢いも、もう一人の " 聖子 " の勢いには敵うはずもなく、
間違われること数え切れず、偽物扱いされることも度々あり、悔しい想いをした…。

【松田聖子】
デビュー曲 『 裸足の季節 』 が化粧品のCMソングとして起用された松田聖子だったが、
本人の頬にニキビが出来ないため別のタレントがCM出演となった、という逸話がある。
ただ当時のサンミュージック社長が、松田聖子にはビジュアル的なものを期待しておらず、
もっぱら歌を前面に打ち出す方向性だった、との見解もある。

そのためサイン会などでは、そのタレントの前に行列が出来るものの、
露出度が少なかった松田聖子本人の前には誰も並ばず、
「あの娘は誰…?」という目で見られ、悔しい思いをしたと言う…。

悔しさをバネにする姿勢は、誰もみんな同じ…。

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沢田聖子ファンにとって、80年代の松田聖子は 「 憎っくき松田聖子 」 だった…。
かたやトップアイドル、かたや…。
ライヴアーティストとしてのスタイルを貫く姿に、ファンとして誇りに思ってはいたものの、
やはり比べられれば悔しさも募り、多くのメディアに登場していることに羨ましさもあった。

「 沢田 聖子 」「 さわだ せいこ 」
知らない人が読めば「せいこ」と読んでしまうのは仕方のないこと…。
しかし知っていながら、聞えよがしに「 せいこ 」と口にする人も数知れない。
含み笑いを残して立ち去る後ろ姿を、睨みつけることしか出来ないもどかしさ…
歯ぎしりするほどの悔しさ。

そして何より辛かったのが、ライヴ会場前に掲げてある「沢田聖子」の文字を見て、
「 さわだせいこ…? 松田聖子じゃないの…? 誰…? 」
とささやく声が聞こえる時…。
本当に知らない人の声が、実は一番辛いことを今も痛感する…。
耳に入ってくるそんな声に、何度拳を握りしめたことか…。

今思えば、その憎しみは " もう一人の聖子 " へのものではなく、
比べる人たちの、心ない仕打ちへの憎悪だったのかもしれない。

二人の聖子も、来年の3月に仲良く50歳を迎える。

自らの夢を追いかけるべく、全国のライヴハウスを駆け回る沢田聖子さん。
昨年30周年を迎え、武道館ライヴなど精力的に音楽活動を続ける松田聖子さん。

益々のご活躍を、願わないではいられない。
同世代を生きてきたファンとして、もう最後まで見守らない訳には行かない。

最後まで…。


同じファンとして


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やさしさに包まれたなら [My Favorite]

昨日は…

11月に行われる川崎でのライヴチケットを購入するために、朝からの店頭待ち…。

残暑という生易しいものではない、強い陽射しと眩しい照り返し。

まだ寝ぼけ眼の目をこすりながら、空を見上げる。

青々と広がる真夏を思わせる空を見上げながらも…

心地良く流れる風には、秋の香りが漂う。

ちょっと忘れていた、不思議な気持ちに包まれる…。


  心の奥にしまい忘れた 大切な箱 ひらくとき…


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『 やさしさに包まれたなら 』

もともとCMのために書かれた楽曲で、1974年に3枚目のシングルとしてリリースされ、
2枚目のオリジナルアルバム 『 MISSLIM 』 にアルバムヴァージョンを収録。

シングルver は、アコースティックピアノによるスローテンポな仕上がりに対し、
アルバムver は12弦ギターとアコースティックギター、そしてペダルスティールギターの
フューチャーによるアップテンポなカントリーテイストに仕上げている。

ちなみに 『 魔女の宅急便 』 やCMなどでよく耳にするのは、アルバムのギターver 。
殆どの人はギターver を先に聴き、後にピアノver の存在を知ることが多いはず。
アレンジとテンポの違いに戸惑う人も多く、やや影になりがちなピアノver 。
でも、聴き込むにつれてその魅力に取りつかれて行くのは、ピアノver 。

ピアノの乾いた旋律が、せつなさを引きずり出す…
ストリングスの弦の音色に、胸は一気に張り裂ける…

ただ、どちらもそれぞれの趣きがあり、好みはあっても甲乙つけることは出来ない。
アレンジの違う同じ曲が、これほど見事に並び立つ楽曲も類を見ない。

いかに洗練され、完成された楽曲か…。

気がつくと頬に涙が流れている…

神様がくれた旋律…。






今年最後かもしれない、眩しい夏空を見上げながら…

今、北の同じ空の下に…


神様は、今も夢を叶えてくれている…

We Believe In Music …


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しあわせ [イルカ]

イルカオフィスから 『 イルカ40周年記念コンサートパンフレット 』 が到着。

2011年5月に " イルカ " として「シュリークス」での活動を始めて40年を迎え、
現在40周年記念コンサートを全国で敢行中のイルカさん。
その記念コンサートパンフレットを会場で販売し、先月から公式HPの通販でも販売を開始。
パンフレットの売上金全額を、東日本大震災の義援金として送ることが決まっている。

「 東日本大震災で被災された皆様へ、全額を復興への義援金としてお届けしたい…。 」

そんなイルカさんの想いが込められた、ぬくもりのある1冊。

イルカオフィスの伝統とも言えるB4サイズ、全24ページの豪華な装丁。
直筆サイン入りの「ありがとうカード」も一緒に…。
ファンがアーティストに抱いている想いを、イルカオフィスは昔からわかっている…。

11月のコンサートに行く予定ではあったが、待ち切れなくて通販で申し込み…
まだか…まだか…と首を長くして待ちわび…
宅配便から受取り、封を開ける時に 「 わ~い! 」 と声を上げて喜んだのは、久しぶり。

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2004年7月に外務省から 「 国際自然保護連合 」 の初代親善大使に任命され、
その記者会見の場で 「 IUCNをアピールする為のコンサートを開く 」 と約束した。

ミュージシャン仲間をはじめ、各界で活躍されている著名な方へ出演のお願い状を出し、
翌年の7月には 「 IRUKA with Friends Vol.1 」 が河口湖ステラシアター、
NHK大阪ホールで開催され、小椋桂、由紀さおり、倉本聡、伊勢正三、五つの赤い風船、
杉田二郎、南こうせつ、ばんばひろふみ 等のゲストを迎えて開催された。
ちなみに2009年の 「 IRUKA with Friends vol.5 」 に聖子さんも出演している。

昨年還暦を迎えたとは思えない、今も若々しいイルカさんの姿。
若かりし頃の、懐かしいイルカさんの姿に涙ちょちょ切れ…。

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2005年に初めて開催したコンサートのフライヤーには、集まってくれたファンへのお礼、
親善大使に任命された感謝の意、出演を快く賛同してくれた仲間へのイルカさんからの
心のこもったメッセージが綴られている。

「 IUCN国際自然保護連合 親善大使 イルカ 」 の名のもとに…


そしてこのあいさつ文の冒頭には、こんな表題が付けられていた…
「 はじめの一歩 」

2009年11月、沢田聖子さんが独立後の最初のツアーで付けたタイトルは…
「 はじめの一歩 」


事務所から独立し、周りから 「 独りじゃ無理だ 」 と言われたが、
「 独りでも出来るよ 」 と励ましてくれたのが、イルカさんだったと言う…。

2009年7月に河口湖での「 IRUKA with Friends vol.5 」 にゲスト出演し、
その2ヶ月後に新たなツアータイトルのライヴスケジュールが発表された。

そして様々な憶測が飛び交う中、ファンの前で、独立したことを正式に発表…。



沢田聖子さんにとっても、沢田聖子ファンにとっても、

イルカさんは永遠の師匠であり、憧れの女性…。

イルカさんがいなければ、今のしあわせはなかった…。

今日、イルカさんが届けてくれた、小さなしあわせ。







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月見草 [初期クラウン時代]

『 月見草 』
作詞作曲:沢田聖子 編曲:渡辺博也

1980年9月25日、4枚目のシングル 『 星空のメッセージ 』 C/W曲として収録。

A 面の 『 星空のメッセージ 』 とともに、秋のイメージを前面に押し出した楽曲。
実家の庭先に咲いていた 「 月見草 」 にその想いを馳せ、切々と綴ったという。
まだ拙いながらも、その18歳の乙女心は、触れるだけで散ってしまいそうなほど…

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演歌を彷彿とさせるメロディとアレンジから、ファンの間でもやや扱いが軽い。
リクエストなどでも、ウケ狙いにされがちな1曲。
ただ地味な楽曲ながらも、この時代ならではのクオリティーの高さが垣間見える。
2コーラス目から入るストリングスの音色は、永遠に広がる秋の夜空のように…。
特に間奏のストリングスとギターの弦の響きは、鳥肌もの…。

『 星空のメッセージ 』 とともに、今の時代には絶対に探すことが出来ない希有な楽曲。
聖子さん本人が「 聴けば聴くほど味が出るスルメのような曲 」 と
『 星空のメッセージ 』 を評し、今も大切に唄い続けている。
同じように 『 月見草 』 も、聴けば聴くほどその味わい深さがにじみ出てくる…
特に秋になると…。

この時代でなければ…
この時の聖子さんでなければ、絶対に作ることが出来ない大切な1曲。

「 学園祭のプリンセス 」 と呼ばれたこの年、ニューシングルを引提げて全国を駆け巡り、
1stアルバムの勢いも手伝って、可憐な歌声を披露して熱狂的なファンを獲得する。

アーティスト人生の中でも、一番 " 乙女チックな沢田聖子 " だったのかもしれない…。




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蛍の里 [SMC時代]

日中は残暑厳しい9月も、夕方になると東京でも虫の音色が聞こえてくる。

少しづつ空が高くなり始め、空の色は秋の彩りに…

雲のかたちも、秋の装いに…。

確実に、秋の足音が近づいてきている。

西の空の夕焼けと、東の夜空に浮かぶお月さまがきれいな季節。

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2011.9.11

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2011.9.12

この同じ空の下で、この同じ月の下で…

想い慕う人が、笑顔でいられることを願って…

想い慕う人が、笑顔で唄えることを願って…

未来の子供達も…

いつまでも。





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平和の鐘 [SMC時代]

まもなく10年。

2001年9月11日、同時多発テロから10年…

あの日の夜は、今も忘れない。

あの日の衝撃は、今も忘れない。

この世にも地獄があるのだと、初めて悟った。

人の心の中には悪魔が住み着くのだと、初めて知った。

今も止むことなく、世界中で頻発するテロ。

戦闘に巻き込まれた犠牲者は、後を絶たない。

自らの正義だけを振りかざし、人を傷つけ殺めた行く先に、愛はない。


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いつになったら、人は闘うことを止めるのか。

いつになったら、人は人を傷つけることを止めるのか。

いつになったら、平和の鐘が世界中に鳴り響くのか…。



『 息子からの伝言 』

作詞作曲編曲:沢田聖子

2003年10月22日リリースのオリジナルアルバム『心は元気ですか』収録。

同時多発テロの犠牲となった1人の日本人とその父親、全てのテロの犠牲者への鎮魂歌。

そして今も苦しむテロの犠牲者の家族に向けて…

平和の鐘が 世界中に鳴り響くことを 願って…。



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独りぼっちの終局 ( カタストロフィー ) [フォノグラム時代]

『 独りぼっちの終局 ( カタストロフィー ) 』
作詞作曲:沢田聖子 編曲:渡辺博也

1983年11月21日、10枚目のシングル『 季 節 ( シーズン ) 』 のC/W曲。
クラウンレコードから日本フォノグラム移籍後の第1弾オリジナルアルバム
『 ターニング・ポイント 』 との同時発売でもあった『 季 節 ( シーズン ) 』のB面。

頭サビとキャッチャーなメロディ、ストレートな恋心が強烈なインパクトのA 面と相反する
B 面の失恋ソング 『 独りぼっちの終局 ( カタストロフィー ) 』。

デビュー以来沢田聖子のシングルは、A 面がイルカをはじめとする他の作家による楽曲、
そしてB 面に本人のオリジナルを収録する形式を維持していた。
シングルA 面では、" イルカの妹 " というデビュー時からのキャッチコピーを前面に出し、
なお且つシンガーソングライターとしてのスタイルを崩さない、という事務所の意向があった。

初期クラウン時代のシングルB面は、ソングライターとしての技量はまだまだ拙いながらも
ファンの間では秀作・名曲とされる楽曲が揃っており、今もステージで頻繁に唄われている。
それが8枚目のシングル 『 あなたへのバースディ・カード 』 では、A・B 面共に
安井かずみ・加藤和彦という超一流作詞家とミュージシャンの手による楽曲だった。

続くクラウン時代最後のシングルとなった 『 ドール・ハウス 』 においても、
B 面ではシングルメドレーを収録したため、" B 面の沢田聖子のオリジナル楽曲 " は、
約1年半の間、聴くことが出来なかった。

聖子さんの自作オリジナル楽曲がA面に格上げされたわけでもなかったため、
リリースされたシングルに針を落とし、少し寂しい想いをしたことを憶えている…。

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約1年半ぶりのシングルB 面のオリジナル楽曲は、ファンにとっても待望の1曲でもあった。
同時発売されたオリジナルアルバムの収録曲に自作の楽曲が少なかったことからも、
『 独りぼっちの終局 ( カタストロフィー ) 』 はシングルB 面でありながら、
リリース当時からファンの間でも愛され、" 隠れた名曲 " と評価が高かった。


当時のファンは、たとえ著名な作家の優れた楽曲より劣る作品であっても、

その時の聖子さんの想いが込められた楽曲を聴きたかった…。

聖子さんの中から生まれてきた詩を…メロディを…

聴きたかった。


その後のフォノグラム時代は、そんな願いが届かず…

聖子さんの後ろ姿を追いかけて…

迷宮の奥深くに…




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もうすぐ1年 [ライブツアー幸せを探そう]

2010年9月11日
通産29枚目のオリジナルアルバム 『 宝 物 』 リリース。

あれから、もうすぐ1年。
2009年のパーソナルオフィスの独立から、約1年後のアルバムリリース。

「 唄うことから私の夢は始まる 」

それまでの全てを捨てて、自らの夢と信じる道を追い求めるための決意だった。


2009年の11月1日に 「 はじめの一歩 」 ツアーを東京を皮切りに開催し、
自らギターケースと衣装ケースを担いで、単身ツアーライヴに奔走した。
東京代官山でのツアー初日、背中を丸めて弱々しげに会場入りした姿は、今も忘れない。

権利の関係から、ライヴ会場で売るCD1枚すらなかった 「 はじめの一歩 」 ツアー。
この間まで物販コーナーに溢れていたツアーグッズやCDは、どこに行ってしまったのか…
大切な楽曲が詰まったCD達は、どこに姿を消してしまったのか…。
誰もが目の前の現実と向き合い、叫びにならない叫び声を上げた。


そんなファンの想いを察してくれたのか…
自らの会社を設立し、レーベルを立ち上げてニューアルバムを作成し、
更に、愛猫ベガのイラストをデザインしたツアーTシャツも作成。

ライヴ会場の物販コーナーに並んだCD、Tシャツ、そしてそれを買うために並ぶファンの列。
その光景は、涙が出そうになるほど嬉しかった…。

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それまでスタッフ任せだったスケジューリングやブッキングも自らが行い、
ニューアルバムを引っ提げての全国ツアーライヴ 「 幸せを探そう 」 を敢行。
その本数は、ツアーライヴだけで約50本に及んでいる。

当初は、しばらくは無理だろう…と思われていた全国ツアーライヴ。

ニューアルバムなんて、当分無理だろう…。

もしかしたら…とも…。


そんなファンの不安を吹き飛ばすように、気がつくと全速力で走り始めていた。

家族への想いを込めた宝物を胸に抱き、愛猫ベガに背中を押してもらって…。

すでにファンを追い越して、いつものように先頭を走っている。

今までのアルバムの中でも、これほどまでに聖子さんとファンが愛したアルバムはない。

聖子さんとファンにとって、大切な 『 宝 物 』


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