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広島遠征 ~合わせ鏡~ [ライブツアー幸せを探そう]

全国ツアー20・21本目は、広島・岡山の中国シリーズ。
ご本人はすでに木曜日の夜に車で東京を出発し、大阪で一泊して昨日広島入り。

今回のツアーから2つ上の実のお兄さんが同行し、ライヴの仕事を手伝っている。
今年の春先に、互いに号泣するほどの大喧嘩をし、腹を割って感情をぶつけ合った結果…。
それまでは仲が悪く、まともに会話を交わした事がない兄妹だったのが、
今では遠方のライヴには車で移動し、遠征先で夕食を共にする…
半年前までは考えられなかった…と言う。

今まで経験した事のない全国を駆け回る旅に、お兄さんは各地で新鮮な感動と喜びを感じているようだ…と嬉しそうにステージで話す。
また妹は、今まで知らなかった兄の性格を改めて目の当たりにし、それまで自分とは正反対の性格を理由に、ずっと正面から向き合おうとせず、生意気な妹だったことを正直に話す…。

こちらが相手を嫌がっていれば、向こうも自分を嫌がっている…
こちらが向き合えば、向こうもこちらを向いてくれる…。
背中を向け合っていては、理解し合うことも出来ない。

すべては「合わせ鏡」

昨年の「はじめの一歩」ツアーで、
やはり単身でのライヴ活動には限界があることを誰もが感じていた。
イルカオフィス時代の女性スタッフと実の兄が、今日も両脇からステージを支える。

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今日の広島で、10本目の参戦。
日曜日の岡山は、登り最終に間に合わないため、回避。

横浜ライヴ 微かに… [ライブツアー幸せを探そう]

横浜ライヴ終了。

最近、必ず口にする
「 今日も、気持ち良く唄うことが出来た… 」
横浜でも…。

久しぶりの関東圏のステージは、良い意味でライヴ慣れした客席の素早い反応、
長く大きな拍手と小気味良い手拍子が心地よく、ステージ上の笑顔も輝くほどに…。
ご親戚の方がいらしていたこともあり、目線がうろつく場面も微笑ましい…。

ギターのストロークがいつもより力強く、どんな想いを込めているのか…
はっとさせられる場面も一つ二つ…。


今年のライヴも、残すところあと6ステージ。
年明けは、1月に川崎でのライヴが既に組まれている。

ニューアルバムを引っ提げてのツアーも後半戦に入り、
そろそろ2011年が見えてきて…。

アンコール曲を唄う最中、今にも泣き出しそうな表情に変わる時…
ふと見せる、伏せ目がちに歯を食いしばるような表情…。

未だ…
微かに…。

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「いわきライヴ」 から 「横浜ライヴ」へ [ライブツアー幸せを探そう]

21日のいわきライヴ会場のライヴハウス 『 Bar QUEEN 』 は、
リニューアルした真新しいお店になり、マスターの音楽好きが随所に見え隠れする小粋なライヴスペース。

いわき駅から徒歩3分ほどの立地条件もあり、メジャーアーティストも数多く出演する。

建物入口にはウッドベースが飾られ、お店の入口には「フレディ・マーキュリー」と
「ジョン・レノン」の人形が飾られ、お客さんを出迎えてくれる。

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グランドピアノを新調し、聖子さんも「コロコロ良い音がして、弾きやすい…」と語っていた。
椅子に腰をおろしポロンと奏でただけで、その音色に引き込まれる…。
どんなに技術が進歩して鍵盤構造を改良しようとも、エレピでは敵わないグランドピアノの音。
エレピは、生ピアノに近い音色を作る楽器であることに変わりはない。

エレピばかり弾いているため、鍵盤を押すように弾く癖がついてしまうアーティストが多い中、
沢田聖子は鍵盤を叩く強弱も心得ており、まさに「コロコロ」といった音色を出すタッチが出来ている。
聴いていて、心地いい…。


ある楽曲でボーカルの出足がフラットし、その後も修正しようとしているのが分かるものの、
微妙にフラットしてしまう場面がありハラハラ…。
昔からボーカルが時折フラットする癖があり、よくある場面ではあるが、
いつもハラハラしながら聴き、心の中で「堪えろ…戻せ…頑張れ…」
と叫び、気がつくと自分も汗ばんでいる…。

ライヴの良さでもあり、生のライヴならではのドキドキ感。
だから、同じセットリストのライヴでも、何度も足を運ぶ。

一日置いて今日は、横浜ライヴ。

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興味津々に眺めていると、マスターが近寄って来て「このフレディ、唄うんですよ」
と言って手に取り、背中のスイッチを操作してフレディの歌声を聴かせてくれた。
「 "QUEEN" は大好きなんですよ」というと、嬉しそうに「私も大好きですよ」と返してくれた…。


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いわきライヴ [ライブツアー幸せを探そう]

11月21日の全国ツアー18本目は、福島県いわき市のライヴハウス
『 Bar GUEEN 』 において15:00開場、16:00開演。
北海道や沖縄ライヴを終えて再び本州に戻り、後半戦に突入。

16:00スタートという、ライヴにしてはスタート時間が異様に早いのは、
東京などの遠征組が日帰りが出来るようにセッティングされているため。
いわきライヴでは、恒例のスタート時間。

仕事の繁忙と家の事情が重なり、松山ライヴ等を泣く泣くキャンセルしたため、
大阪以来の久しぶりの遠征。

上野発「スーパーひたち」で、車窓の旅。

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来週からは横浜、広島遠征、奈良~京都遠征と、過密スケジュール。
休日は全てライヴで埋まり、そのまま年末繁忙へ…
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最後の将軍

徳川家15代将軍、最後の征夷大将軍となった徳川慶喜。
幕末の大きな役割を果たした人物の一人で、未だ解明されない不可解な言動を残している、不思議な将軍。

水戸藩主・裂候徳川斉昭の七男として生まれ、徳川御三卿一橋家の9代当主を経て、徳川15代将軍に就任する。
幼少の頃からその頭脳明晰・英明の呼び声が高く、12代将軍家慶が自分の後継者にしようと考えていたという逸話もある。
しかし、13代将軍の徳川家定が病弱だったため、紀州藩主の徳川慶福との将軍後継問題が浮上し、南紀派と一橋派との争いに巻き込まれる。
だた本人は将軍になる気がなく、「天下を取ってから失敗するよりは、取らないほうがいい」という内容の手紙を、父である徳川斉昭に送っている。
政治的な野心がなかった人、と伝えられている理由はここから来ているとも考えられるがそれだけではなく、将軍就任の駆け引きとして利用していた節もある。

薩長同盟が成立した後に時流は一気に倒幕に傾き、岩倉具視らによる密勅(偽勅)によって錦の御旗を奪い取ることとなる。
ガチガチの尊王攘夷であり、徳川親派であった孝明天皇から出されるとは思えない倒幕の勅状…。

鳥羽伏見の戦いの戦場でもあった大坂城から兵を残して江戸へ逃げ帰り、錦の御旗がひるがえったことにより、官軍とされる薩摩・長州軍に軍配が上がる。
数の上からは、徳川が負けるはずがなかった戦であった…。

それなのになぜ、この時徳川慶喜は兵を残して江戸へ逃げ帰ったのか…
小説や文献より様々な見解が記されているが、維新後にも詳しいことは語っておらず、慶喜の真の意図は未だ不明である。

幕末明治維新、近代日本を導いた最大の功労者と評価する声があるのは、この時の恭順の姿勢から来ている。
勝海舟と西郷隆盛の江戸城無血開城も、徳川慶喜の決断がなければ実現していない。

そしてもしこの時、慶喜が徹底抗戦を続けていたら、今の日本はない。
当時の日本は欧州の植民地支配の標的にあり、どちらか勝っていても、戦火の混乱に乗じて、西と東に分断されていたことは、間違いない。
朝鮮半島と同じ運命をたどっていたかもしれない…。

ただこの時期は、ヨーロッパでは「クリミア戦争」が、アメリカでは「南北戦争」が勃発した時でもあり、日本植民化の余裕がなかった、という楽観的な意見もある。



小栗忠順(小栗上野介)という勘定奉行や外国奉行などを歴任した幕臣がいた。
大政奉還後も徹底抗戦を唱えたとされる人物で、将軍から直接罷免を命じられたただ一人の幕臣、という妙な人物でもある。
その小栗が戊辰戦争の際、東へ上ってきた官軍を箱根で迎え撃ち、その後ろを大坂からの兵で挟撃し、さらに海上から艦隊を駿河湾に突入させて艦砲射撃で殲滅するという作戦を慶喜に提言している。
しかし慶喜は、この策を採用しなかった。
後の陸軍の創始者大村益次郎(村田蔵六)が、後にこの作戦を知り、「もしこれが実行されていたら、官軍は全滅していただろう…」と青ざめたという。

一橋当主の頃、ある趣味に没頭していたという言い伝えがある。
屋敷の庭に目掛けて、漁の「投網」を何度も何度も繰り返していたという。
毎日毎日、時間を見つけては投網を繰り返し、側近も呆れるほど…。
もともと趣味多才な人で、囲碁、狩猟や釣りにも興じていたこともあったが、その力の入れようは尋常ではなく、本職の域にまで達していたという…。
そして、こんな逸話がある…。
黒船が来航していたこともあり、慶喜は海に出て投網をし、漁に精を出す振りをしながら黒船の様子をうかがっていた…と。
真偽は定かではない。

英明なのか愚鈍だったのか…。
戦地から兵を残して逃げ帰り、事後処理や責任を勝海舟、会津藩に押しつけ、自分はひたすら恭順の姿勢を貫いた…という見方もある。

NHK「龍馬伝」での慶喜は、公家よろしく眉を剃り上げ、悪漢面の役どころに徹しているが、本来の性格はどうだったのか…。
大政奉還のこの時期、もっと描いて欲しい人物の一人…。

幕末の動乱期、将軍として何を思っていたのか…
最後の徳川将軍として職を辞し、どのような晩年を過ごしたのか…。
興味深い人物である。

ありがとうの唄 [SMC時代]

『 ありがとうの唄 』
作詞作曲:沢田聖子 編曲:沢田聖子・坪井寛

2007年4月25日リリースの27枚目のオリジナルアルバム
『 すべてに、ありがとう。』 に収録。

前年の全国ツアーのステージで初披露し、アンコールの1曲目として唄われた。
軽快なリズムとメロディーに乗せて、デビュー時からの情景が走馬灯のように蘇る詩が、古くからのファンに衝撃を与えた1曲。

「ありがとう、ありがとう…」と唄うファンへの想いが、とてもせつない…。

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ラジオのレギュラーを立て続けに降板し、事務所主宰の「富良野チャペルコンサート」にも出演しなくなり…
何かが動き出している…と薄々感じていた時…。

「 ありがとう ありがとう ありがとう… 」

浜松のライヴで初めてこの楽曲を聴き、全身に稲妻が走り、目の前で何かとんでもないことが起こっているのを直感。

「今、何を唄っていたの…?」
「今何て言ったの!?」
「日比谷のステージ…?」
「階段教室…?」
「元気でいてね……?」
「何て唄ったのか、もう一度聴きたい!」
「今すぐ…。」

この後に続いたアンコール2曲は、もう聴こえなかった。
この楽曲の意味が何なのか…。
なぜこんな楽曲を今…。

「もしかしたら、最後の唄を創ってしまったの…?」と…。

会場を出て見上げたこの日の三日月は、目に焼き付いて離れない。
帰りの新幹線の車中、焦燥感で胸が張り裂けそうな想いだったことは、一生忘れない。
一生忘れない…。


  ありがとう 今夜も ありがとう 遅くまで
  ありがとう 楽しかったね ありがとう 
  元気でいてね

  ありがとう ありがとう ありがとう ありがとう
  ありがとう 楽しかったね ありがとう…
  また逢おうね




あなたと出逢ってからのすべてを、今も心に刻んでる…。
ありがとう。
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