So-net無料ブログ作成
検索選択

アマデウス抄

『 アマデウス 』 を久しぶりにBSで観賞。
1984年、ブロードウェイで好評だった舞台 『 アマデウス 』 を映画化し、第57回アカデミー賞では作品賞・監督賞・主演男優賞・脚色賞・美術賞・衣装デザイン賞・メイクアップ賞・録音賞の8部門を受賞した名作。

ロードショー公開時に3回足を運び、ビデオ・LD・DVDすべての時代のハード機器のソフトを購入し、何回観たか数え切れない映画の一つ。

現在世に出ている物は「ディレクターズ・カット」と呼ばれる物で、公開時のオリジナルではない。
編集時にカットした部分が加わり " 完全版 " と称した、制作サイドの自己満足の代物。

公開時のオリジナルで感銘を受けた人にとっては、裏切られたような、
後出しジャンケンに負けたような気分。
台詞を空で言えるくらい何度も観ている者にとっては、新たに導入された場面は、居心地の悪い時間に感じる…。

200778485.jpg

この完全版では、コンスタンェがサリエリを訪れるエピソードが新たに加わったことにより、作品は破綻した。
伏線がわかりやすくなったという声もあるが、映画はすべてのエピソードを盛り込む必要はない。
全てを知る必要はない。
伏線がどこにあるのかは、観ている側が探すもの。
制作サイドに示されたら、伏線の意味はない。
観ている側が見えない部分を模索するのも、映画の楽しみの一つ。

また、オペラ「後宮からの誘惑」終演後の、楽屋でのソプラノ歌手カテリーナとサリエリとのやり取りも、オリジナルのままで全く支障がない。
花束を叩きつけ、舞台を去っていくカテリーナを見て、全てを察知するのが、あの場面のポイント
綿密に計算されていた場面が、ここでも破綻した。

無粋以外の何物でもない。



劇中、まったく書き直しのない、一筆書のモーツァルトのオリジナルの譜面を観て、サリエリが驚嘆したシーンが、空々しく感じてしまう…。


''『 その音符一つを変えるだけで破綻が生じ、''

             ''楽句ひとつ変えれば、全体が壊れる。 』''


モーツァルトの楽曲を劇中で讃えたこの台詞が、空々しい…。

200778476.jpg

この映画を何度も繰り返し観てきて、たどり着いた私見。
この作品は、天才と言われたモーツァルトを描いたものでもなく、凡人というレッテルを貼られたサリエリを描いたものでもない…。

人にとって、音楽とは何なのか…

劇中でモーツァルトは、それまでの神話をモチーフとしたつまらないオペラを前世代の遺物と嘲笑し、太った男女がわめきあう騒音とまでこき下ろす。
新しいオペラを、母国語でのオペラを、と新しい道を切り開く。
聴いて誰もが楽しめる音楽を…。

そして自らの手で「愛」をテーマとした新しいオペラを創りだす。
それまで誰も気づかなかった…
近くにあり過ぎて、気づかなかった「愛」をテーマに。
他愛もない日常生活の中に、本当の愛があると…。

しかしそのモーツァルトのオペラすらも、一般大衆から見れば高尚なつまらない音楽にしか映らなかった。
きらびやかに着飾り、人々を支配する貴族階級・特権階級にしか与えられない贅沢な趣味として…。
手の届かない「愛」として。

悪友の 『 ドン・ジョバンニ 』 をコメディ化した喜劇舞台は、大きな拍手と歓声に包まれ、客席は子どもから大人まで、輝くような満面の笑顔で溢れている。

音楽が全ての人に愛されるものとして、地上に舞い降りた瞬間。

200778488.jpg

モーツァルトは、神の声を伝えたのではなく、音楽を全ての人が分け隔てなく、もっと自由に楽しみたい…という想いに応えた人。


音楽は、神を讃えるものではなく、神に捧げるものでもない。

すぐとなりにいる人のために、奏でるもの。

慕う人のために、唄うもの。

愛する人のために…

愛する人と一緒に…唄うもの。



今日、一緒に…。

2年振りに [Forever Live]

気づいたのは、いつだったか…。
昨年の、今頃だったか……。

違った…。
もっと前から、気づいていた。
予感していた…

30周年ツアーの真っ最中で、誰も気づいている様子はなかった…。
もちろんまだ、薄らぼんやりとではあったけれど…
最悪の事態も、覚悟した…
もしかしたら…と。

200289669.jpg

6月24日、2年振りに村下孝蔵追悼ライヴを開催。
『 Forever Live ~ 親愛なる人へ ~ 』

昨年は事務所から独立のゴタゴタで、止む無くキャンセルせざるを得なくなり、
悔し涙を飲んだ…。

昨年のちょうど今頃は、まだ確信は持てなかったものの、何かが動いているとすでに感じていた。
でもそれが何なのか…
憶測の域をなかなか超えられなかった。

「キャンセル」という言葉に、実は深い意味があったとわかったのは、
もう少し後になってから。

まだ1年しか経っていないのに、遠い昔のことのようで…


自分のツアーやアルバムだけで、まだ精一杯のはず…。
どれほど昨年のキャンセルが、悔しかったことか。
2年振りの実現で一番喜んでいるのは、聖子さん本人。

一昨年までのサポートのギタリストを、今年は変えて……

変えざるを得なくて……か。

ちょっと…

富田靖子
1969年福岡生まれ。
1983年映画 『 アイコ十六歳 』 のオーディション127,000人の中からヒロインの座を射止めた、シンデレラ・ガール。
1985年、大林宣彦監督 『 さびしんぼう 』 が大ヒットし、映画女優として高い評価を受ける。
『 さびしんぼう 』 は、思春期の淡い想いを描いた " 尾道三部作 " の一つとして、今も高い人気を誇る不朽の名作。
この作品をきっかけに、映画女優としてだけではなくテレビドラマにも多数出演し、歌手としてレコードをリリースしてコンサートツアーも行う。

少女マンガ・アニメファンとしても知られ、当時の時代としては珍しく素顔を臆面もなく前面に出し、後年のアイドルの先駆けの一人とも言える。

現在も、舞台などを中心に活躍中。





テレビドラマに関して富田靖子は、他に例が無いほどの不運の持ち主だったと言っていい。

1985年、初のテレビドラマでアニメ 『 一休さん 』 の実写版の主役 " 一休さん " を演じ、女性ながら " 小坊主のかつら " をつけることで放映前から話題となっていた。
放映日当日、番組開始から数分後に、日本航空123便の墜落事故が発生し、番組を中断することなくニュース・テロップが絶え間なく流れ続けた。
ドラマは最悪の視聴環境、そして番組を中断しなかったことへの猛抗議が、テレビ局に殺到したという。

1986年には民放の夜7:00のゴールデンタイムの2時間ドラマに抜擢されたが、放送日に優勝がかかったプロ野球中継が入り、番組は放送延期となった。
しかも、3ヶ月後…。
このドラマ主題歌のシングルレコードもリリースし、連ドラ主演を視野に入れていた当時の富田、事務所アミューズにとって、そのダメージと怒りは如何ばかりだったことか…。
それ以降約20年近くに亘って、その民放局のドラマ等に出演していないことからも、当時の波紋の大きさがわかる。


この二つの場面での心痛は、想像を絶するものであっただろう…。
本人以外、誰にもわからないだろう…。





長い女優生活の中でも、ほとんどスキャンダルらしいスキャンダルがない、ある意味で希有な女優。
一貫して清純派のイメージを保ってきているのは、デビュー当時からの本人の無邪気な性格がストレートに出ているためか。
一時期NHKが正月特番ドラマを毎年用意し、また銀河テレビ小説の主役に起用するなど、幾度も重用していた理由の一つがうかがえる。

80年代には各業界の大手メーカーのテレビCMにも多数起用され、イメージキャラクターとしての好感度は群を抜いていた。

この時代にしか創れない、ハイセンスな映像の中で光り輝いている。



大貫妙子の楽曲、ロケーション、キャッチコピー、三拍子揃った傑作




贅沢すぎる30秒




タイアップが当たり前だった時代


映画主演3作目にして日本映画史にも残る名作・代表作にめぐり会ってしまったため、以降の活動を模索し続けた感もある。
アイドル路線の歌手として、コンサート活動も行い音楽番組にも出演するが、他のアイドルが " 綺羅星のごとく " 輝いていた80年代では、実力不足だったことは否めない。

また 『 さびしんぼう 』 を超える作品・演技力を求められたためか、以降の主演にも目立った興行成績を上げた作品がない。

映画女優としての育成期を過ごすことなく、早過ぎたヒット作の弊害を被ってしまった典型の女優さん。
未だにデビュー時を思わせる台詞回しや作り笑顔が、ぎこちない…。
デビュー当時は、それも魅力の一つだったが…。

浮いた噂もほとんどないと思っていたら、3年前にご結婚して、現在は
一女の母親であるとか…
あの " ヤッコ " が……。


もし…
もし沢田聖子さんがデビューすることなく、出逢うことがなかったら…

そんなことを思う、女優さんの一人。

ひとつの想い出として…。

幕末に生きた…熱い想い

激動の幕末志士・人物を挙げたら、枚挙に暇がない。

坂本龍馬・西郷隆盛・大久保利通・桂小五郎・吉田松陰・高杉晋作・久坂玄瑞・伊藤俊輔・吉田稔磨・武市瑞山・乾退助・井上馨・後藤象二郎・岩崎弥太郎・山縣有朋・小栗忠順・徳川慶喜・三条実美・岩倉具視・山内容堂・島津斉彬・島津久光・松平慶永・徳川斉昭・勝海舟・山岡鉄舟・佐久間象山・近藤勇・土方歳三・松平容保…等々。

幕末の英雄は、一般的には坂本龍馬。
NHK大河ドラマにより、何度めの「龍馬ブーム」か…。

土佐藩「郷士」ながら、多額の土地財産を所有していた豪商(才谷屋)二男の裕福な家に生まれ、後に脱藩して薩長同盟により倒幕、明治維新の立役者として後世まで名をとどろかせている。

その土佐藩は、藩主・山内容堂が隠居後もその影響力を維持し、ドラマにおいても8.18政変後の、尊攘派・土佐勤皇党への弾圧が繰り広げられている。

参政・吉田東洋暗殺の遺恨、そして尊王攘夷から公武合体への時代の変遷…。
投獄後、1年半の獄中闘争の末、三文字の切腹により武士の気概を見せて絶命した武市瑞山。

維新後、武市を殺したことを何度も悔いていたという山内容堂…。
病床にあった時には「半平太許せ、許せ…」とうわ言を言っていたとも伝えられている…。


               武市瑞山 獄中画

当時の土佐藩は日本でも特筆すべく人種差別のあった土地で、関ヶ原の合戦の際に藩主・山内一豊がその功績を認められ、それまでの長宗我部家に代わって土佐20万石を拝領した御家柄。
「山内侍」「長宗我部侍」という呼び方の元、「長宗我部侍」の「郷士」は雨の日に下駄をはくことは許されず、夏に日傘をさすことも許されず、犬猫と同じ扱いだったと言う…。

山内容堂は、自らを鯨海酔侯(げいかいすいこう)称するほどの酒好きで、福井藩主・松平慶永、宇和島藩主・伊達宗城、薩摩藩主・島津斉彬と並んで「幕末四賢侯」と呼ばれた重鎮。
そもそもは、山内家の分家生まれで藩主になる血筋ではなかったはずが、相次ぐ藩主の病死などから藩主に抜擢された人で、酒や詩を愛する人だったという…。
奇しくも「安政の大獄」の彦根藩大老・井伊直弼と、境遇が似ている…。

幕末の時流に上手く乗ろうとした態度を、「酔えば勤皇、覚めれば佐幕」と揶揄されたが、その徳川に対する「義・節・律」は、類を見ない。

大政奉還後の京都小御所会議にて、政権を返上した15代将軍徳川慶喜に辞官納地を要求した岩倉具視ら官軍に対し、山内容堂は「この会議に、大政奉還の功績者である徳川慶喜を出席させず、さらに徳川家のみ領地を返還するのは理に合わない。幼帝を担ぎあげての策略としか思えない。」と反論している。
ちなみにこの「幼帝」という失言が、致命傷となってしまった…。

この逸話の真偽は定かではないが、山内容堂の一本気な性格、土佐山内の御家柄、幕末維新のなんたるかを教えてくれる逸話であることに間違いはない。



              土佐藩15代藩主 山内容堂      

土佐藩は、長州や薩摩と違う…
関ヶ原の合戦後に拝領した、土佐20万石…。
山内容堂が藩主となった際も、徳川家の恩情があってのものだった。

水戸藩における勤皇の精神と通ずるもので、徳川宗家に対する恩義と忠節心が脈々と引き継がれている。
これは、理屈ではない…。

晩年山内容堂は、「山内家は関ヶ原の合戦以来、徳川家に対しての恩義があった。徳川家がなければ、今の山内家もない…。あの会議で、自分一人が徳川家の存続に奮闘した…。力及ばなかったが、少しでも徳川家への恩を返すことが出来たのでは…」と語っているという…。

朝廷・徳川将軍家・長州・薩摩・土佐・越前・会津・水戸・肥後…
それぞれの立場で、それぞれの思惑があった幕末維新。
幕末の魅力は、それぞれの人がそれぞれの立場で、国のため、藩のため、家族のため、慕う人のために奔走した、熱い想い…。





この時期、どちらが正義でどちらが悪だったかは、誰にも言えない。
どこかで何かが変わっていれば、今と同じ日本はない。
置かれた立場や境遇が、その道の行く先を迷わせただけ…。

どちらも、自分が何かの力になりたい…という想いを持ち、自らを捨てて奔走し、志半ばで散って行った生命の尊さに、違いはない…。

想い叶わず、志叶わずに世を去った志士は、数え切れない…。

らいばる [想い いろいろ]

知る人ぞ知る、名古屋出身のシンガーソングライター。
''とみた ゆう子''
1981年8月25日 『 セプテンバー・ガール 』 でデビュー。
同年9月20日、1stアルバム 『 COLOURS 』 をリリース。
通産12枚のシングル、8枚のオリジナルアルバムを世に送りだす。

アマチュア時代から将来を有望視され、幾多のレコード会社からの強力なスカウトがあったが、学業優先を理由に断り続ける。
その後も再三のスカウトがあり、大学時代に「日本クラウン」からメジャーデビュー。
シングルデビューの翌月に1stアルバムをリリースするという、当時では破格の扱いからも、いかにクラウンが大きな期待をしていたかがうかがえる。

透き通った伸びのある歌声、弾けるようで甘くアンニュイな、変幻自在のヴォーカルが大きな魅力だった。
名古屋をホームグラウンドとし、ラジオのパーソナリティーやコンサート活動を中心にファン層を広げた。
化粧品会社やオーディオのCMソングにも使われ、全国区も目の前と思われていた矢先、1986年に交通事故に巻き込まれて重傷を負うことに…。
そのまま、アーティスト活動の休業宣言。

その後91年にアーティスト活動を再開するが、結婚・出産を機にふたたびアーティスト活動を休業。

200772129.jpg

とみたゆう子が属した日本クラウンのPANAMレーベルは、フォーク・ニューミュージック専門レーベルで、かぐや姫・風・イルカ・細野晴臣・大貫妙子、そして沢田聖子も属していた。

沢田聖子・とみたゆう子
当時のクラウンレコードが欲していたアーティスト、イルカオフィスが輩出したかったアーティスト像が、くっきりと浮かび上がる。
一見似通っていながら、その魅力は対照的。

すでに2枚のオリジナルアルバムをトップ10に送りこみ、コンサートチケットは即日完売で、人気を不動のものにしていた。
まさに沢田聖子も、大きく羽ばたこうとしていた頃。

レコード会社のとみたゆう子への待遇、セールスの力の入れ具合は、ファンレベルで見ても羨ましくなるほどだった。
当時パーソナリティーを務めていた名古屋のFM愛知の番組を、とみたゆう子に引き継ぐ形で降板。
とみたゆう子1stアルバムのキャッチコピー ''" とびっきりのミルキー・ボイス " ''と、沢田聖子6枚目のシングル 『 雨の日のサンシャイン 』 に '' " 思いっきりのラブリー・ボイス "'' というキャッチコピーをつけて並べたセールス・プロモーション。

同じ時期に、同じレコード会社の同じレーベル、同じジャンルの同じピアノ弾き語りの女性アーティストであれば、当人同士が意識しないはずがない。
それはファンも同じ…。

そして1978年アマチュア時代の、とみたゆう子幻のデビュー曲 『 緑の家族のご招待 』 は、イルカの作詞作曲。
沢田聖子デビューの、半年前…。

とみたゆう子の高待遇を羨ましく思う気持ちを、よくステージでこぼしていた…。
後年は、「ゆう子ちゃん今、どうしてるのかな…?」と少し寂しそうに…。

渋谷PARCOの壁画に、とみたゆう子のニューアルバムリリースの宣伝が大きく描かれていたのを、指をくわえて羨ましく思ったことを思い出した…。

200772120.jpg

1986年…

沢田聖子は、自らの道が見えなくなり…

とみたゆう子は…

複雑に絡む糸…縁…。



''『 とどけ・愛 』''





''『 愁 雨 』''




たとえ一瞬のきらめきであっても、その輝きは失わない…。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。