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ターニング・ポイント [フォノグラム時代]

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『ターニング・ポイント
1983年11月21日5枚目のオリジナルアルバムとしてリリース。
日本フォノグラム移籍第1弾のアルバムとして、シングル 『 季節(シーズン) 』 と同時発売。
中里綴作詞が4曲、西岡たかし作曲が3曲、三浦徳子作詞が2曲。
沢田聖子自作は4曲、作曲のみが3曲。

ジャケットクラウン時代と同じく故・大川奘一郎さんが手がけているが、
レコード会社が変わると、これほどセンスに差が出るのか…と思うほど…。
クラウン時代と比べると、以降のジャケットもインパクトの薄いものばかり…。
厳しい言い方をすれば、沢田聖子の魅力を全くわかっていない…
と言わざるを得ないジャケットの数々…。
故・大川さんのせっかくの写真を生かし切れていないものばかり…。

内容的にはクラウン時代の路線を引き継ぎつつ、狙いを絞った感があり、
レコード会社の思惑がすでに見えていたアルバム。
移籍に合わせて、「ターニング・ポイント」「分岐点」という言葉が飛び交った1枚だった。

何が「分岐点」なのか…?
アルバム1曲目に持ってきている自作『悲しむ程まだ人生は知らない』を
何故タイトルにしなかったのか…?

当時からファンの間でも疑問視されていて、『ターニング・ポイント』というイメージ創り、
販売戦略に、敏感なファンは気づいていた。

沢田聖子のスタンス、音楽は変わっているわけではないので、
レコード会社が無理やり「分岐点」と称することに多くのファンが憤りを感じていた。
レコード会社が " 新たな沢田聖子 " を売り出しにしたい、という思惑とは裏腹に、
当時のファンは、新しいレコード会社の動向を静観していた。

聖子さん自身の楽曲では、メッセージ色が強くなった1枚でもあり、
ストレートな表現が顕著になったことと同時に、それまでの自分の音楽や歩んできた足跡を見つめ直していることが窺える。

この年の5月に初めて " 渋谷公会堂 " でのソロ・コンサートを行い、
シンガーソングライターとしての人気も実力も不動のものにしたこの時期。
レコード会社の求める物は、全国区レベルのヒット曲…。
"キャッチャー"な曲創り…。
「新しいシンガーソングライター」のパイオニアとして…。

今思えば、このアルバムで聖子さん自身が一番訴えたかったはずの楽曲を
タイトル曲に持ってこなかったことが、迷宮への " 道しるべ " だったような…。

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リンク [想い いろいろ]

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一昨日の晩、虫歯が痛んで夜中の3時過ぎまで眠れず…。
3か月ほど前に、以前詰めた所が取れてしまっていて痛んではいたのですが、眠れぬほどの痛みを伴ったのは、大人になってからは記憶がないほど…。
日中もズキズキ…。

すると…昨日、聖子さんの奥歯の銀歯が食事中に取れてしまったそうで…。
時折感じる不思議な糸…。

http://inmyheartconcerttour.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_50bc.html

歯医者に行くのが嫌で憂鬱な気持ちだったのが、なんだかとても愛おしくなって…。
どこかでリンクしているのかな…と。
勝手な思い込みですが…。
昨晩はよく眠れました…。
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風と少年  [初期クラウン時代]

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『風と少年』 
作詞作曲:沢田聖子 編曲:渡辺博也

アルバム『青春の光と影』収録。
爽やかさでは、沢田聖子全曲の中でも指折り。
一気に夢の世界に連れて行ってくれる希少な曲。
今でもライヴで唄われる1曲です。
ここ1~2年はこの曲をピアニカ片手に唄う場面が多く、客席を楽しませてくれます。

イントロから始まるエレキギターの透き通った音色が全編に渡って爽やかさを醸し出し、
アゴゴ・ベルの澄んだ音色がそれを引き立てます。
後にステージでバッキング・コーラスとして出演している「ロブ・バード」のコーラスも秀逸。

「この歳になってこの曲を唄うのは、少し気が引ける」と言いながら頻繁に唄うことからも、
聖子さんのこの楽曲に対する想い入れの深さがわかります。
大人への階段を一歩一歩上る少女の瞳をほうふつとさせ、同じそよ風の中に身を置いていることを体感できます。

当時の聖子さんは、どんな少年を思い描いてこの詩を綴ったのか・・・。
多くのファンが思い描いたであろう楽曲の情景。
緑と風と青空を感じさせる、沢田聖子ならではの作品です。

   丘の上の小さなチャペルに続く道
   通りすがりに見かけた少年
   青い空を渡る風のように
   澄んだ瞳をしてた
   振り返る私の心が少し揺れた…
   あの少女の頃の日がもどったように
   あの少女の頃の日がもどったように

   礼拝堂のステンドグラスに光やわらぐ
   心のやすらぎをチャペルに求めて
   おもちゃをころがす子供のように
   素直な私にあえた
   出来る事なら風のような少年にもう一度…
   私は夢見つづける雲の影のように
   私は夢見つづける雲の影のように  

   夜がすぎ朝がきて 一日が生まれ変わる
   今日こそ私の思いがかないそうで
   お気に入りリボンに願いをこめて
   あの子のもとへ届けましょう
   いつものあの道に一人たたずんで私は待っている
   私をかえてゆく少年の事を
   私を変えてゆく少年の事を
 
   丘の上の小さなチャペルに続く道
   大切に持ってきた贈り物
   私の心も知らずに
   あの少年はやって来ない  
   かすかな想いを私に残して・・・
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ボヘミアン     [初期クラウン時代]

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『ボヘミアン』
作詞作曲:沢田聖子 編曲:経田康

アルバム『流れる季節の中で』収録
ここ数年、再びステージで頻繁に唄うようになった1曲。
昔の楽曲をあれこれ持ってくる時、どんな気持ちでいるのか…。
どんなことを思い出すのか…。
不惑の年代も中盤に入り、ますます惑っているのか…
いつまでも少女の心を失わない彼女の魅力は、尽きることがない。

生まれてから一度もアルバイトの経験がない、語っていたことがある聖子さん。
小さい頃からモデルの仕事をしていたこともあってか、
いわゆる普通の学生生活に憧れがあったような口ぶり、素振りを見せることがある。
短大を卒業してそれぞれ社会に出て行った友人たちを、どんな目で見ていたのか…。

大人になっていく友人たち。
自分だけが立ち止まったままでいるような心境だったのか…。
タイトル曲『 流れる季節の中で 』でも垣間見える、この時期の聖子さんの心の内。

この楽曲も自分が見ることのできない目線で綴った詩から、そんな憧れが見え隠れしている。
外れたレールを善しとする姿勢ながらも、
自分の与えられたことを、きちんとこなす生き方を愛する女性。


  会社務めを辞めたのは
  単調な生活にピリオド打つため
  シャツだけのトランクひとつ下げて
  一人夜汽車に揺られ 都会を離れる

  My Life 一度きりの人生だから
  For me 河の流れに流されないで
  My Life 遠くあてのない旅だから
  For me 大切に生きたい
 
  僕を包むやさしい
  子供のように素直になれたよ
  人は誰でも孤独な旅人
  今日の夢を追いかけ一人さまよう

  My Life 一度きりの人生だから
  For me はずれたレール行くのもいいさ
  My Life 遠くあてのない旅だから
  For me 自分を生きたい

何度恋しても…  [初期クラウン時代]

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『何度恋しても…』
作詞:中里綴 作曲:西島三重子 編曲:渡辺博也

アルバム『流れる季節の中で』収録。
故・中里綴さんの世界に舌を巻くばかりです。
中里綴さんには、何曲か詩を提供していただいていますが、
どれも胸が締め付けられるような切ないフレーズがちりばめられている…。
この楽曲もその一つ。
さりげなく綴られた一つひとつのフレーズには、熱い想いが丹念に…。

誰でも一度は抱いたことのある、身に覚えのある想い…。
想い慕う人との距離、その距離を縮めるための時間…。
離れていてもその人の存在を感じる一瞬の刹那…。

燃えさかる炎の中に自ら飛び込んだ恋は、胸を、身を焦がすほど。

弦楽器の流れるような旋律は募る想いを一層あおるかのようで、昂ぶる想いを抑えられず…。
詩・曲・アレンジ・ボーカル すべてが見事に調和した秀作。

このアルバムの最後の3曲
『 心は風船 』 『 何度恋しても… 』 『 モニュメント 』
3人の女性の恋心が綴られています。
三者三様ではあるものの、想う気持はどれも同じ。
そして、意図したものなのか、1曲づつ階段を上っているようで…。
3曲並べると、その輝きは眩いばかり。
少女から大人への 『 卒業アルバム 』 を締めくくる3部作。



  黄昏迫る街はこんなに人があふれてるのに
  電話で呼びだしたい相手は一人だけ
   
  どこか静かな場所で
  あなたをじっと見つめていたい
  だけど臆病なのね 好きとも言えなくて

  あなたに心を開いています
  熱い想いは次から次と
  終わりのない湧き水

  あなたが抱えていた同じ小説 ペイジをめくり
  少しでも近づいた気持になるばかり

  混んできた喫茶店 恋人たちに席をゆずって
  少し遠回りする銀杏の並木道

  あなたの心を求めています
  焦れる想いはちょっろ切なさ
  ブレンドした湧き水

  何度か恋をしても経験なんて役に立たない
  恋はいつもふりだし 手さぐりしてるだけ

  黄昏迫る街はこんなに人があふれてるのに
  電話で呼びだしたい相手はあなただけ
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心は風船    [初期クラウン時代]

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『心は風船』
作詞作曲:沢田聖子 編曲:渡辺博也

アルバム『流れる季節の中で』収録。
もしかしたら20年以上ステージで唄われたことがないかも知れず、
この先も唄ってくれる可能性は低い楽曲。
幼さの残る拙い詩、メロディラインもアレンジアイドル歌手の唄うような楽曲で、
当時もあまり注目されることのなかった1曲。
他の作家のラヴソングと比べれば、どこをとっても見劣りのする曲ですが…。

私はとても親近感を覚える楽曲で、等身大の聖子さんを肌で感じることができる
微笑ましい作品だと思っています。
拙い表現ではあるけれど、明らかにそれまでのアルバムとは違う聖子さんが綴ったもの。
恋愛に対する想い、憧れ…けれども、それだけではない…。

この楽曲も彼女の性格がよく出ていて、物事をはっきりさせないと居ても立ってもいられない…
という気質が見え隠れして…。
自らの心を風船に例え、"風まかせ"な乙女心を可愛らしく表現してはいるものの、
決して自分から舞い降りることはない…
つかまえてほしい…という想いと、その裏腹に…。

聖子さんの様々な想いが感じられる、興味深い楽曲です。


  あなたが嫌いになったわけではないけれど
  この頃何故か上の空
  初めて聴くレコードに針落とす前の
  ときめき感じられない あなたとすごす時間(とき)
   
  私の心は風船
  糸の切れかけている風船
  あなたの手でしっかり握りしめていて
  私の心は風船
  糸の切れかけている風船
  強い風が吹いてきたならば
  どこかへ飛ばされてしまうから

  あなたが悪いわけではないのだけれど
  この頃とても不安なの
  やさしさ足りないわけでもないけれど
  多分あなたがとても照れ屋さんだから
  
  私の心は風船
  糸の切れかけている風船
  あなたが口べたなの知ってはいるけれど
  私の心は風船
  糸の切れかけている風船
  「僕にはかけがえのない人だよ」と
  真面目な顔でそう言って欲しいの
  真面目な顔でそう言って欲しいの
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誕 生 [フォノグラム時代]

沢田聖子さんは3つ上の兄、7つ下の妹の3人兄妹の真ん中。
1962年3月13日、都内の聖母病院で産声をあげた沢田聖子さん。
ご両親がクリスチャンというわけではなかったのですが、
聖母の「聖」と当時憧れていたヴァイオリニストの「しょうこ」という名前をとったそうです。
『聖子』と書いて『しょうこ』と読むのか迷っていたところ、
「聖徳太子」の「聖」と読むことが出来る、とのことで付けられた名前です。

そのお兄さんが子供服などのモデルをしていたこともあり、
聖子さんも小さい頃からモデル、子役などで雑誌やCM、ドラマに出ていました。
モデルデビューは生後11か月の時、"おむつ"のモデルだったとのこと。
子供服のみならず、多方面にわたって雑誌等の表紙、グラビア、広告等に起用されています。

渥美清さんの『パンシロン』のTVコマーシャル。
渥美清さんが小さな女の子を肩車しながら、「パンシロンでパンパンパン」と繰り返し唄い…
「この歌終わんないの?」と聞く女の子に、「本当に終わんないね…」と返す渥美清さん。
有名なコマーシャルで、記憶にある方も多いかと思います。
この女の子が沢田聖子さんでした。



TVドラマでは、宮脇健さんの「ケンちゃんシリーズ」の「おそば屋ケンちゃん」に出演をしています。
この出演には逸話があります。
所属していたモデル事務所からオーディションを受けた聖子さんでしたが、
当日すでに合格者は決まっており、いわゆる「出来レース」のオーディションでした。
聖子さんは「さくら」の一人でした。
ところがオーディションが終わると、宮脇"ケンちゃん"が、聖子さんを指名して
「この子でなければだめだ」と言い出し、関係者は大騒ぎ。
当時大人気の「ケンちゃん」のご指名だったため急遽聖子さんが合格者となり、出演へと…。
「不二子ちゃん」という役名で、前後篇2回にわたってヒロイン役を演じています。

後年、仙台のライヴハウスでライヴを演った時、
宮脇健さんの聖子さん宛のメッセージ・カードがお店にあったそうです。
馴染みにしているお店で聖子さんがライヴを演ることを知り、思い出したのでしょう。
オーディションで見染めた娘だったのですから、忘れるはずはないでしょう。

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4歳の頃から中学1年の頃まで「音羽ゆりかご会」という有名な児童合唱団にも所属していた聖子さんは、様々な楽曲に名前を連ねているだけでなく、ソロのシングルレコードも出しています。

グリコのCM、雑誌「セブンティーン」「高一時代」など、
デビュー前までモデルの仕事を続けています。
どの雑誌を見てもその輝きは群を抜いていて、後の彼女を予感させる物ばかり。
生まれながらのタレント、スポットライトを浴びるために
この世に生まれてきたのではないかと思うほど…。

ただその道は平坦ではなく、むしろ紆余曲折の連続…。
決して順風満帆な人生を歩んで来ているわけではありません。
特にプロのシンガーソングライターとしての道を歩き出してからは、悩みも多かったはず…。

プロとしてのスタート、きっかけも、切れてしまいそうなほどの細い糸を手繰り寄せたものでした。
イルカオフィスの最終オーディションの時、聖子さんは二番手で、有力候補者がたまたま他の仕事とブッキングしたために来られなくなり、ある意味仕方なく次点の聖子さんが繰り上げになった形でした。
それもレコード会社関係者のほとんどが「この娘ではだめだ」という意見で、その反対を押し切ってデビューさせたのが、当時のイルカオフィス社長でもありイルカさんの旦那さんでもある、故・神部和夫さんでした。

イルカさんが産休に入っていた時期でもあり、事務所としても新しい人材を探していたこともあったのですが、アマチュアでの経歴も弾き語りの経験もなく、曲を創ったこともない素人の聖子さんに神部さんは何を感じたのか…。
「ごく普通の女の子だった」という沢田聖子さんに、どんな輝きを見つけたのか…。

もしこの日、一番手の娘が最終オーディションに来ていたら…。
もしこの時、神部さんが関係者の多数の反対意見に押し切られていたら…。
もし神部さんが、沢田聖子さんの消えてしまいそうなほどの小さな輝きに気づいてあげていなかったら…。

今現在、唄を唄い続けているのが不思議なくらいの奇跡の積み重ね…。
数え切れないくらいの偶然の積み重ね…。
もし何か一つでも違っていたら、永遠にすれ違いのままだったのかもしれない。
もしかしたら、出逢っていなかったかもしれない…永遠に。

いつだったか…沢田聖子さんと出逢えたこの奇跡に、
数え切れない偶然に感謝している…と伝えたことが…。


けれど聖子さんは、

『出逢いに偶然はない…。
 出逢うべくして出逢った…。
 出逢うことは、初めから決まっていたこと…。』

と私達の前で、一人ひとりの瞳を見ながら話されました。
2004年の10月リリースの『HistoryⅡ』というベストアルバムで、
1曲だけ新曲を収録します。


『誕 生』

  この世に生まれてきた 今日を祝おう
     "心から おめでとう"
  あなたが ここにいること 感謝している
  
  近すぎると照れて 大切な言葉を
  言えずにいるけど 素直に贈るよ

     "ありがとう"

  星の数も超える生命を
  遥かつないで呱呱の声を上げた
  偶然なんかじゃないさ 感謝している

  生んでくれたことも 生まれてくれたことも
  忘れる日ばかり… だからね、一年一度でも

  この世に生まれてきた 今日を祝おう
     "心から おめでとう"
  あなたがここにいること 感謝している
  星の数も超える生命を 
  遥かつないで呱呱の声を上げた
  偶然なんかじゃないさ 感謝している

この楽曲を聴き、応えをもらい、私のそれまでの考えは改めさせられました。
出逢えたことは偶然ではなく、出逢うべくして出逢ったのだと。
出逢うことは初めから決まっていたのだと…。
そして、最後まで…。
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