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まもなく…
1979年5月25日のデビューから、33年目を迎える沢田聖子さん。
「 イルカの妹 」 というキャッチコピーの元、これ以上ない恵まれたデビューをし、
イルカの産休復帰のカムバック・リサイタルのステージにも立ち、
最高の環境の中で、最高のスタートを切った沢田聖子さん。
アマチュア経験も弾き語りの経験もなかった、ごく普通の16歳の高校生を見出し、
周りの反対を押し切ってデビューさせた、元イルカオフィス社長の故・神部和夫さん。
誰も気づかないほど、消えてしまいそうなほど小さかった光を見つけてくれた…。
決して真っ直ぐに伸びる光ではなかったけれど…
途中で消えそうになったこともあったけれど…
その小さな光は、今も力強い輝きを放ち続けている。

デビューを1週間後に控え、17歳の少女はどんな想いを抱いていたのか…。
デビュー前の弾き語りステージの猛練習は、熾烈を極めたと伝わっている。
そして2012年5月27日、30枚目のオリジナルアルバムをリリースし、
アルバムを引っ提げての全国ツアーに走り出す。
今も彼女は、猛練習中…。
「 イルカの妹 」 というキャッチコピーの元、これ以上ない恵まれたデビューをし、
イルカの産休復帰のカムバック・リサイタルのステージにも立ち、
最高の環境の中で、最高のスタートを切った沢田聖子さん。
アマチュア経験も弾き語りの経験もなかった、ごく普通の16歳の高校生を見出し、
周りの反対を押し切ってデビューさせた、元イルカオフィス社長の故・神部和夫さん。
誰も気づかないほど、消えてしまいそうなほど小さかった光を見つけてくれた…。
決して真っ直ぐに伸びる光ではなかったけれど…
途中で消えそうになったこともあったけれど…
その小さな光は、今も力強い輝きを放ち続けている。
デビューを1週間後に控え、17歳の少女はどんな想いを抱いていたのか…。
デビュー前の弾き語りステージの猛練習は、熾烈を極めたと伝わっている。
そして2012年5月27日、30枚目のオリジナルアルバムをリリースし、
アルバムを引っ提げての全国ツアーに走り出す。
今も彼女は、猛練習中…。
よみうりホール [コンサート会場]
東京は有楽町、読売会館7階にある多目的ホール。
建物の1~6階には、2000年まで読売グループの百貨店「そごう」が、
そして現在は大型家電量販店が営業を行っている。
1957年にオープンし、コンサート・講演・セミナー・試写会など利用頻度は高い。
1階席522人、2階席578人の計1,100人を収容する中規模ホール。
座席数が1階席より2階席の方が多いという会場は、あまり他に例を見ない。
両脇まで2階席がせり出しているため、1階席より見やすい作りになっている。
1,100人を収容するとは思えない客席とステージとの近距離感は、
横に広がりを持つ構造と、曲面を多用した壁の作りから来るもの。
キャパが多過ぎず、2階席後ろでも遠くない距離感と見やすさは都内屈指。
日生劇場と同じ設計者によるもので、音響の良さは折り紙つき。
都内の幾多のコンサートホールが閉鎖に追い込まれている中、
今も老舗のホールとして、堂々たる風格を誇る良質のコンサートホールでもある。
1980年10月9日に 『 LIVE CAMPUS'80 』 にて、尾崎亜美、DO!とのジョイントで
初めてこのホールのステージに立った沢田聖子さん。
同年の12月13日、秋のソロリサイタルツアー 『 さわやかコンサートVol,2 』 で再び。
間もなく人気が沸騰し、このキャパでは耐え切れなくなり開催会場も大きくなり、
以降この 「 よみうりホール 」 のステージには立っていない。
日本青年館と共に、想い出の詰まった聖地のひとつ。

1981年6月24日、この 「 よみうりホール 」 で、
『 上田知華+KARYOBIN 』 がツアーコンサートを行っている。
前年にシングル 『 パープルモンスーン 』 がスマッシュヒットし、
ストリングス・カルテットを率いたピュアなサウンドが、新しい風を吹かせていた頃。
身内のつながりで、半分仕方なくこのコンサートに足を運び、
先に会場入りして入口付近で待ち合わせをしていたところ…。
関係者・招待席用の入口から入ってくる女性があり、でも特に気に留めることもなく、
待ち合わせの身内を探すために、会場入りしている人の行列を眺めていると…。
その女性が自分の脇を通り過ぎた瞬間、ハッと気づいて後ろを振り返る。
「 えっ!今の女性、もしかして…! 」
その後ろ姿、背格好、髪型、着ているオーバーオール。
まごうことなき、沢田聖子さん。
事務所スタッフと思しき人と、スタスタと会場内に入って行く。
サインをもらおうにも何も持っていなく、あっという間に1階席中央付近に消えて行く…。
コンサート中、もうステージの演奏どころではなく、終了後のことで頭がいっぱい。
何とかもう一度見つけて、サインをもらえないだろうか…と…。
アンコールも終わると、すぐさま席を立って1階入口付近に駆け下りたものの、
場内からぞろぞろと出てくる人波を見て、「この中から再び見つけるのは無理かな…」
と思っていると…
まるで天から射す光が照らし出すように、人ごみの中で浮かび上がる女性が一人…。
「 あ… いた… 」
親を見間違えることはあっても、この女性を見間違えることはない…と確信。
この時、もう一人の自分がもう一人の自分を見ているような不思議な感覚になり、
自分と沢田聖子さんの距離を、空の上から第三者的な目で見ているような…
そんな不思議な感覚に包まれたことを、今でも忘れない。
この日、逢うべくして…。
身内から借りたボールペンとルーズリーフの紙を手に握りしめ、
臆することなく聖子さんに近づき、サインをいただいた…。

今ならプライベートに立ち入ることに躊躇し、更にルーズリーフにボールペンなどで
サインを求めることなど、失礼で出来ない。
まだ高校生だったこともあり、怖いもの知らずとくそ度胸が功を奏した…。
いきなりの立ちながらのサインだったにもかかわらず、
嫌がる素振りも見せずに丁寧に、イラスト付きのサインをしていただき…
今でも、大切な宝物の一つ。
サインをしている間、話しかけることも出来ず、ただ手の動きを見ていただけ。
書き終わった後に手渡された時も、何もしゃべることが出来ず…
目が合い、どこかぎこちない時間が流れた…。
思えば、そのぎこちない空気と時間は、今も変わらない…
今も、あの頃のまま…
17のまま。
JR有楽町駅ホームからも見える 「 よみうりホール 」
目にするたびに、あの日のことを思い出す。
想い出の 「 よみうりホール 」
建物の1~6階には、2000年まで読売グループの百貨店「そごう」が、
そして現在は大型家電量販店が営業を行っている。
1957年にオープンし、コンサート・講演・セミナー・試写会など利用頻度は高い。
1階席522人、2階席578人の計1,100人を収容する中規模ホール。
座席数が1階席より2階席の方が多いという会場は、あまり他に例を見ない。
両脇まで2階席がせり出しているため、1階席より見やすい作りになっている。
1,100人を収容するとは思えない客席とステージとの近距離感は、
横に広がりを持つ構造と、曲面を多用した壁の作りから来るもの。
キャパが多過ぎず、2階席後ろでも遠くない距離感と見やすさは都内屈指。
日生劇場と同じ設計者によるもので、音響の良さは折り紙つき。
都内の幾多のコンサートホールが閉鎖に追い込まれている中、
今も老舗のホールとして、堂々たる風格を誇る良質のコンサートホールでもある。
1980年10月9日に 『 LIVE CAMPUS'80 』 にて、尾崎亜美、DO!とのジョイントで
初めてこのホールのステージに立った沢田聖子さん。
同年の12月13日、秋のソロリサイタルツアー 『 さわやかコンサートVol,2 』 で再び。
間もなく人気が沸騰し、このキャパでは耐え切れなくなり開催会場も大きくなり、
以降この 「 よみうりホール 」 のステージには立っていない。
日本青年館と共に、想い出の詰まった聖地のひとつ。
1981年6月24日、この 「 よみうりホール 」 で、
『 上田知華+KARYOBIN 』 がツアーコンサートを行っている。
前年にシングル 『 パープルモンスーン 』 がスマッシュヒットし、
ストリングス・カルテットを率いたピュアなサウンドが、新しい風を吹かせていた頃。
身内のつながりで、半分仕方なくこのコンサートに足を運び、
先に会場入りして入口付近で待ち合わせをしていたところ…。
関係者・招待席用の入口から入ってくる女性があり、でも特に気に留めることもなく、
待ち合わせの身内を探すために、会場入りしている人の行列を眺めていると…。
その女性が自分の脇を通り過ぎた瞬間、ハッと気づいて後ろを振り返る。
「 えっ!今の女性、もしかして…! 」
その後ろ姿、背格好、髪型、着ているオーバーオール。
まごうことなき、沢田聖子さん。
事務所スタッフと思しき人と、スタスタと会場内に入って行く。
サインをもらおうにも何も持っていなく、あっという間に1階席中央付近に消えて行く…。
コンサート中、もうステージの演奏どころではなく、終了後のことで頭がいっぱい。
何とかもう一度見つけて、サインをもらえないだろうか…と…。
アンコールも終わると、すぐさま席を立って1階入口付近に駆け下りたものの、
場内からぞろぞろと出てくる人波を見て、「この中から再び見つけるのは無理かな…」
と思っていると…
まるで天から射す光が照らし出すように、人ごみの中で浮かび上がる女性が一人…。
「 あ… いた… 」
親を見間違えることはあっても、この女性を見間違えることはない…と確信。
この時、もう一人の自分がもう一人の自分を見ているような不思議な感覚になり、
自分と沢田聖子さんの距離を、空の上から第三者的な目で見ているような…
そんな不思議な感覚に包まれたことを、今でも忘れない。
この日、逢うべくして…。
身内から借りたボールペンとルーズリーフの紙を手に握りしめ、
臆することなく聖子さんに近づき、サインをいただいた…。
今ならプライベートに立ち入ることに躊躇し、更にルーズリーフにボールペンなどで
サインを求めることなど、失礼で出来ない。
まだ高校生だったこともあり、怖いもの知らずとくそ度胸が功を奏した…。
いきなりの立ちながらのサインだったにもかかわらず、
嫌がる素振りも見せずに丁寧に、イラスト付きのサインをしていただき…
今でも、大切な宝物の一つ。
サインをしている間、話しかけることも出来ず、ただ手の動きを見ていただけ。
書き終わった後に手渡された時も、何もしゃべることが出来ず…
目が合い、どこかぎこちない時間が流れた…。
思えば、そのぎこちない空気と時間は、今も変わらない…
今も、あの頃のまま…
17のまま。
JR有楽町駅ホームからも見える 「 よみうりホール 」
目にするたびに、あの日のことを思い出す。
想い出の 「 よみうりホール 」
ラジオからあの声を… [ラジオ]
世田谷区のコミュニティFM生番組 『 アフタヌーンパラダイス 』
レギュラーパーソナリティ岸田敏志さんのピンチヒッターとして
5月7日の月曜日、そして来週の14日に出演。
今年の1月2日にも代打を務め、すでに3回目の出演となる。
2011年の3月までレギュラーを務めていたこともある番組で、
当時は半蔵門の東京FMのスタジオから放送していたものを、
現在では三軒茶屋のキャロットタワーの26階展望フロアーにある
オープンスタジオからの公開生放送、という形をとっている。

4時間に及ぶ公開生番組のため、毎回多数のファンが駆けつけ、
メールやFAXも 「ハンパない位の量… 」 とアシスタントの女性が語る。
レギュラーDJを凌ぐ人気に、聖子ファンは歯ぎしりをする思い…。
ラジオと共に育ったアーティスト沢田聖子さんとファンにとって、
やはりマイクの前で思いっきりしゃべってほしい…と願うのは当たり前。
山梨放送で土曜日の午前中にオンエアーされていた生ワイド番組も、
地元での人気を博した長寿番組となり、7年6か月続いた。
沢田聖子さんは、やはりラジオでしゃべる姿が似合う。
ヒット曲がラジオから生まれた時代も遠い昔のこととなり…
FM雑誌片手に、エアーチェックをした懐かしい日々…。
PVやネット配信などが普及し、手軽に音楽を聴くことが出来る環境を手に入れ、
その見返りとして、二度と手に入れられない大切なものを失った。
ラジオの魅力を殺したのは新しいメディアそのものではなく、
実は、そのメディアに流されたファンだったのでは…。
もう一度、ラジオのレギュラーパーソナリティを…。
もう一度、ラジオから流れるあの声を聴きたい…。
レギュラーパーソナリティ岸田敏志さんのピンチヒッターとして
5月7日の月曜日、そして来週の14日に出演。
今年の1月2日にも代打を務め、すでに3回目の出演となる。
2011年の3月までレギュラーを務めていたこともある番組で、
当時は半蔵門の東京FMのスタジオから放送していたものを、
現在では三軒茶屋のキャロットタワーの26階展望フロアーにある
オープンスタジオからの公開生放送、という形をとっている。
4時間に及ぶ公開生番組のため、毎回多数のファンが駆けつけ、
メールやFAXも 「ハンパない位の量… 」 とアシスタントの女性が語る。
レギュラーDJを凌ぐ人気に、聖子ファンは歯ぎしりをする思い…。
ラジオと共に育ったアーティスト沢田聖子さんとファンにとって、
やはりマイクの前で思いっきりしゃべってほしい…と願うのは当たり前。
山梨放送で土曜日の午前中にオンエアーされていた生ワイド番組も、
地元での人気を博した長寿番組となり、7年6か月続いた。
沢田聖子さんは、やはりラジオでしゃべる姿が似合う。
ヒット曲がラジオから生まれた時代も遠い昔のこととなり…
FM雑誌片手に、エアーチェックをした懐かしい日々…。
PVやネット配信などが普及し、手軽に音楽を聴くことが出来る環境を手に入れ、
その見返りとして、二度と手に入れられない大切なものを失った。
ラジオの魅力を殺したのは新しいメディアそのものではなく、
実は、そのメディアに流されたファンだったのでは…。
もう一度、ラジオのレギュラーパーソナリティを…。
もう一度、ラジオから流れるあの声を聴きたい…。
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